12月 2011 のアーカイブ

カクレミノ

2011年12月29日

12月28日にも矢坂山の鯉が池付近の間伐を行いました。アクラ、楠木の他に葉の大きな日照を妨げ伸びている木を伐採しましたが、名前がわからないため吉備」の中山の植生を調べ、矢坂山の植生についても調査中で昨年案内していただいた岡本泰典さんにお聞きしたところ「カクレミノ」

http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/araliaceae/kakuremino/kakuremino.htmであることが分かりました。

 間伐すると桜の巨木があることが分かり楽しみです。

矢坂山「鯉ケ池」間伐

2011年12月27日

12月26日に矢坂本町の砂田兄弟と3人で鯉が池付近の間伐を行いました。矢坂山は戦前に燃料の確保などの目的で赤松を植樹したそうです。松葉掻きなどのため間道が入り組んでいて裾野の自宅から持ち山へ入りやすいように整備されていました。いゆうならは田んぼの畔道のようなものです。ガス、灯油、電気により釜焚き、風呂焚きに薪、落ち葉が使われることもなく自然林となってきています。それによって松が劣勢となり松くい虫被害等ありその本数は著しく少なくなっています。ドングリなど落葉樹もあるのですが、楠木、クロがねもちの木など常緑樹がはびこっています。また、仏前にお供えするしゃしゃ木も上へ上へ伸びています。全体的に陽が地面に差し込まんくなっています。手を広げて歩ける程度に山が理想とか聞きますがほど遠い状況となっています。自然林も良いのですが、矢坂山古来の山野草木が市街地の街路樹、庭の木から運ばれた実類によって成り立つように変わってきているようです。

 下木の丈を下げたり、不要な木を間伐して陽の入り、風の通るよう試みて見ました。また、ドングリの間伐によりシイタケ原木も作りました。大木を1本でも切り倒し片づけるのも大変なことだと痛感しました。

 

鴨鍋

2011年12月19日

  12月16日に少人数集まって賑やかに鴨鍋を味わいました。市久保より北長瀬の名前が付いた江戸時代には池田和泉守が再々鴨狩りに来ていたようです。その池田和泉守は北長瀬を所領していた記録があります。また、鹿田より白石の渡しの浜街道の中仙道辺り[今の岡山ドームに南]に池田の殿様が立ち寄り綺麗な花が活けていたことより花屋を名乗るよう云われ「花屋」大きな看板が最近まで掲げていたそうです。今でも笹ガ瀬川にも多くの鴨を見かけます。

 矢坂山をもっと楽しい山にしようと色んなアイデアが出ました。桜だけでなくモミジの植林や鯉が池付近でキャンプや炭焼きが出来るようにするとか。シイタケ栽培や昔の松林を取り戻し、松茸を復活しようとか。現在、矢坂本町中心に3ヶ月に1度清掃活動しているのを中学、高校に案内してボランティアを募ってはとか。

 「矢坂山を語る会」は難しいことを話し合う会としか寄り難いとの話があるため「矢坂山を楽しむ会」に名称変更してはどうでしょうか。

狂い咲

2011年12月5日

12月2日の朝に笹が瀬川を散歩していますと、2本の桜に花を咲かせていました。

今年は師走となっても暖かい日がが続き、一時寒い日もあって狂い咲きしたのでしょうか。寒桜でなく染井吉野の小木です。植えてから10年以上になりますが大きくなっていないのが残念です。

矢坂山の清掃と紅葉

2011年12月5日

 

 3月ごとに矢坂本町が行っている矢坂山の鯉が池、富山城跡付近の草刈、雑木処理、清掃に「矢坂山を語る会」からも4名参加しました。全員で子供も含めて26名の参加がありました。当日はあいにくの雨が残っていましたが、全山紅葉していました。

 

アクラの剪定

2011年12月3日

  11月26日(土)にアクラ(クロガネモチ)の大木の剪定をしました。昔は近所の白髭宮など巨木が多く見かけたのですが今では我が家のみとなりました。若いときは枝伝いに登り、枝先まで伝って鋸で剪定していました。最近は体が硬くなって枝を渡れなくなり、2段伸び梯子を伸ばして、さらに長い柄のついた鋸で剪定してました。今年は息子の手伝ってもらって梯子の移動、剪定木の片づけをしてもらうつもりでした。

 もたもたしている内に、息子が梯子に登り剪定を始めてしまいました。最初はは落ちはしないかとハラハラしていました。切り落とした枝葉は、孫たちが片づけてくれ、9時頃より初めて3時ごろには終わりました。