12月 2017 のアーカイブ

岸一太の山陽新聞記事

2017年12月13日

1890(明治23年)8月29日
関西高校の前進の岡山薬学校に通学当時か?
提籃の需用
御野郡大野村大字北長瀬なる岸一太氏は同郡鹿田村大供にて組提籃と筵提籃を製造し神戸商館に見本持ち行き売り口を求めたるに非常に称賛を得直ちに1万個の注文を受けたるを以て支那豪州等夫々向口の品を製造中なるが当今は其の職人の少なきに困るほどなりといふ盛んに製造するに至れば輸出品の一部に数えらるに至るべしとの事

1912(明治45)年6月2日
関東軍督府技師兼満鉄大連病院長を3年した後、帰国し東京に上京する前であろうか?
@医学博士岸一太君に与う
岡山医学専門学校学生同志委員
合田 獃成

進んで足下との会見談と右演説を対のんに足下の演説には委貝の述ふ所大部分之に賛同する能はざりきと是れ何の言はりや委員が意見を述べるや始め足下は此の問題を以て学生のなす可らざるのなりと云ひき然れども論戦の結果吾人が誠心誠意に足下を説破して学生としてなすも可なりと明言せられたるにあらずや論議の結果吾人の取れる所凡て善を尽くせども只そ形式に於いて聊か暇ぐる所ありとに所論一致したるにはあらずや然らば何を以て足下が大部に賛同する能はざりきなと云い得るや吾人怪牙訝の念に堪えざるなり、又足下の言の此形式の足らずるなを補ハ、然らば、吾等の同志超えたといはれたり而かも演説には其の補足の事たる期しがたき事、実なりと云はり初より出来ざる相談と知りながら之勘むることは何事かりきや、誠に不親切も甚だしく苟も後進の者を指導する紳士の態度と云ふを得べきか、実に言語同断なりと云はざるを得ず。
足下は専ら勉強のみをする以て足れりと只此の一言を以て俺掩ひ去らんとす。
此の消極的行動をのみ学生の半分となすは出理に眛菖思想のみ事苟も自己の利害問題にして又学校に発展に間する事あらば其の向上発展を期して起つは元より当然にして又此の進取的元気こそ青年の至実なれ然れども其常軌を達せる行動ある可らざるや勿論なり。
道辻説をなすものあり岡山医専向上を欲せざる某氏上京して盛んに此運動に向て幾就若くは防塵を加へんとし各方面に其の方法を講ぜり。而して其の結果足下も亦。その確認中の一人となりて之れが阻害に供与するに至れるなりと吾人直に是直に之れを信ずるに能はらずと蹴も又以て全く之れを否定し得ざるなり内にとなれば吾人と会見の結果足下は其の足らざるを補へ然らば助力せんと唱え(学生してなすの不可ならざるは勿論)且学会の為にには1ケ年2千円を支出うる事となし居れり故に必要の場合奮って義援金をもないこの問題の発展を計らん前日に壮語しながら翌日は早手拿を翻すが如く前言を食むに於いては其の問何ら等の消息ながる可らず、世間性々足下の人格に就いて云々するものあり果たして然らば吾人足下の為に之れを悲まずんばある可らず、
吾人の足下の演説を聞きて一言を發せざりし所以のものは之一に
先輩に対する道を思えばのみ其の不遇の言を聞きながら之れに堪えざる可べかららざりしが吾人の心事実に熱涙を飲むの概あり切歯せざる能はざりき然るに足下は東部にありて頻りに足下は東部にありて頻りに足下の辨を以て吾人を説破して遂ひ反したたるなりと得々然たるものありと是れ吾人を悶着せざるものなり吾人同志会の宣言書には苟も此の問題に向かって阻止を加ふるもの対しては相当の防御を施し絶対に排斥するの手段を講ぜざるを得ずと宣せり茲に於いてか吾人又止まる所を知らず本書を呈して足下の回答を聴かんとするのみ。
(完)

庭の紅葉

2017年12月7日

黒部ダムの紅葉が残念ながら見れず、栂池で撮影した写真を楽しんでいます。緑川洋一の写真展が瀬戸内美術館
?で開かれいています。日の出など日本各地で撮影した彩どりを堪能できるでしょう。我が家の写真集を取り出して見ます。
今朝、庭先の紅葉を撮影しまいた。
運動公園のポプラ、楓、岡大のイチョウ、農学部前の楷とありますが、何度撮影しても難しです。
 巨大な楷(かい)の木は『旧閑谷学校』のシンボル。中国山東省の孔子廟から持ち帰った種子から成長したもので、孔子にちなんで『学問の木』と呼ばれています。
写真
風呂前のドウダンツツジ、岡大図書館
前 楷

オルガ、餅つき、美術館

2017年12月3日

9時に家を自転車で出て、西口のオルガの環境フォーラムを聴きに行きました。
中国四国地方環境事務所の環境対策課原田幸也さんがパリ協定と地域再省蓄エネ活用による地域課題の解決についてた話した。経済成長:鍵は「炭素生産性の大幅向上」  高付加価値化によって、「量ではなく質で稼ぐ」を目指す点においては、付加価値生産性と炭素生産性は同じ方向性を向いている。
地方創生・国土強靭化
・地域エネルギーの活用
一再エネ関連の事業・雇用の剔出、国土強靭化等
・市街地のコンパクト化
一人口密度向上による労働生産性の向上、市街地活性化等
・自然資本の維持・充実
一地域の独自性に基づく高付加価値な財・サービスの源泉
地域再・省・蓄エネの意義②
     地域経済の活性化
・エネルギーの地産地消が進むことで、地域内での資金循環が活発化。
・地域企業の設立による安定的な雇用の剔出や税収
 増といった経済効果が見込まれる。
   地域再・省・蓄エネの意義③
      地域課題の解決
・エネルギー販売事業と合わせて介護サービスや福祉サービス等の事業を行うことで、副次的に地域課題の解決にも寄与。(高齢者見守り、子育て支援等)
地域版・自治体新電力の増加
地域に存在する再エネ等のエネルギー資源を地域内で消費し、エネルギー代金を地域内に循環させるため、自治体が地域の企業等と共同して電力事業を立ち上げるヶ-スが浸透。
域内で生み出される再エネや、廃棄物処理で発生する排熱などを活用する事例が多い。
他都市の例は、静岡県浜松市(株)浜松新電力
政令指定都市として全国初の新電力。資本金6,000万円(市の出資比率:8.33%)
現在は、太陽光発電所、清掃工場の電気を買取、市内の需要家へ供給。将来的にはコジェネ、蓄電池等からも電力を調
達し、浜松新電力がスマートシティの担い手となる構想。を上げた。
西口地下道に向かうとパン屋の前で餅つきをしていた。
県立美術館せ文化フォラムを聞いた。
近世の実像を求め 史料の語る近世岡山
「倉敷の町と大橋家一族 山本太郎[倉敷市総務局総務部副参事(歴史資料整備室担当)]
山本太郎[倉敷市総務局総務部副参事(歴史資料整備室担当)]
江戸時代には備中国窪屋郡倉敷村は、幕府代官陣屋が置かれた陣屋元村として町場が発達した。在町倉敷には、周辺農村から多くの人々が流入した。ここでは、倉敷村の豪農商として知られる大橋家を取り上げ、大橋家が倉敷の町場へ移住して力をつけた歴史的経緯や、代官役所支配にも地域の成り立ちにも不可欠な役割を果たしながら、近代における名望家へとつながっていく過程を史料から跡付けてみたい。
「村の記録と向きあう
  和気郡豪農大森家の系図調査より」
森元純一 [和気町歴史民俗資料館職員]
和気郡尺所村の大國家(近世には大森)には、膨大な古文書が残されている。近世も後期になって大森家は、自身の系図を作成して子孫に残したが、膨大な古文書をひもとくと、どのように調査して系図は確定されたのか、その詳細が判明して興味深い。その背景には、近世の村社会が、必然的に豊富な種類の古文書を持っていたことがある。ここでは、大森家の系図調査を通して、そのような豊かな古文書世界を再確認したい。

武家社会に生きる
   ―津山藩松平家文書の武士たち一」
 尾島 治 [津山郷土博物館館長]
江戸時代の武士は、擲楡的にサラリーマン武士とも称されてる如く、その多くは日ノマの勤務に励みながら、それぞれの家の格式に縛られた中で、ささやかな出世を願って生きていた。そんな彼らの実際の暮らしや誇りや諾憤が、今に伝えられる膨大な古文書の中に隠されている。また、大名自身も家を守るためヽ幕府役人を相手に奮闘していた。ここでは、ステレオタイプの武士像ではない彼らの現実を、生の史料から汲み取っている。
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赤羽飛行機製作所・飛行場100周年記念如何に顕彰するか

2017年12月2日

魚見山で日の出を祝う日が近づいた。毎年、頂上が一杯となり8畳岩にだれが占拠するか争うこととなる。まだ周りには日の出を見える場所がある。
今から100年前に岸一太は、赤羽飛行機製作所・飛行場を作った。
岡山では全く報道されず他にも多くの方が読売新聞中心に賑やかした。
大正時代2年に中国大連から帰って築地に病院を開業しました。この当時の東京は今と問題は変わらずゴミ、電力、人口過密、防災対策が無い、
そして、関東大震災が起こった。
1922(大正11)年7月25日岸一太博士が世界的の発見
東京市1年の塵芥処分から6千キロから9千キロの電流を起こせる。
他に副産物として酪酸、揮発油が出来て、而も経済的で多大の利益を得られる 博士は今年も亜炭も発明した
この次は糞尿の研究に取り掛かると
  露天焼却
東京湾におけるごみ埋立ての歴史は江戸初期にまでさかのぼることができます。当時はリサイクルの仕組みが整えられていたため、埋立処分は不燃物や建物廃材といったものが主体となっていました。
ところが明治に入ると人口増加、経済発展の影響でごみ量が増加し、ついには家庭の生ごみも埋め立てられるようになりました。生ごみは腐るので、臭気が発生し、ハエやネズミなど害虫獣が巣食うことになります。当初は『溝下水ヨリ生ジタル汚泥』(当時の東京市発行の冊子より)でごみ層の表面を覆う方法(覆土といいます)で対処していましたが、海外から侵入したコレラ、ペスト、赤痢などの伝染病が相次いで流行したため、衛生上の観点からのごみ問題への対応が求められるようになりました。
こういった背景から明治33年「汚物掃除法」が成立、行政がごみ処理の義務を負う法的根拠ができました。この法律を受けた施行規則に『塵芥ハ可成(なるべく)之ヲ焼却スヘシ』(5条)という指針が示されています。
本来ならば専門の焼却場を逐次建設していくべきなのでしょうが、建設計画は付近住民の反対などによって次々に頓挫します。現23区に初めて建設されるには、大正13年まで待たなければなりません。
手近に焼却するなら、処分場に移送されたごみをその場所で燃やす手段があります。
これを「露天焼却」と呼びます。
現在の江東区塩浜にあたる1号埋立地(埋立期間:明治43年〜大正10年)から露天焼却が始まりました。現在の江東区潮見にあたる8号地(埋立期間:昭和2年〜昭和37年)までは、焼却場での焼却と平行して露天焼却が続けられましたが、昭和30年代前半には煙や粉じんに対する苦情が相次いだため行われなくなりました。
「夢の島」という通称で知られる14号地(埋立期間:昭和32年〜昭和41年)以後は行われていません。
露天焼却は野焼きともいわれますが、現在は、『廃棄物の処理及び清掃に関する法律』によって禁止されています。
1921年11月29日
渋谷発電所に勤務のドイツ人技師レ氏月給350円を頂戴して機械装置に汗みどろ 近く大大的に結果は発表
「関東大震災」まで稼働していた「渋谷発電所」
大正期の「東京市電気局」(現「東京都交通局」)は、市電の運行の他、電燈の供給も行っており、1911(明治44)年に前身である「東京鉄道株式会社」から受け継いだ3ヵ所の火力発電所を運営していた。そのうちの一つが「渋谷発電所」。1923(大正12)年の「関東大震災」で被災し廃止されるまで稼働していた。画像は1919(大正8)年の地図で、南東に見える発電所の地図記号が「渋谷発電所」。
1916年12月13日
新つるぎ号の墜落
 千葉県 海岸  井上中将は無事
 夏目漱石葬儀
1915年11月19日
ドイツ夫人の涙物語2 愛を失った夫人には愛児が生命
100円をゼルマの生活費として終生しおくること
をもって6月9日日本を、 後藤の令嬢栄子
1915年5月20日
 岸博士の起訴
岸一太氏の離婚訴訟
大正4年11月22日
岸一太氏は、医師から飛行機技師に転向し、「つるぎ号」を製作した人として名前が残っていますが、彼の離婚訴訟について、大正4年11月の読売新聞に連載が掲載されていましたので、記録として残しておきます。
(上記写真は、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲さんよりお借りしました)
馴れ初めからドイツに帰るまで
医学博士岸一太氏は、ドイツ留学中にゼルマさんと出会い、岸氏が心を込めて求婚し、結婚することになりました。
岸氏は前妻との間に子供があることを、ゼルマ夫人に隠していました。
その内に夫人に発覚し、岸氏は「隠したのはあなたを愛するあまりだ」と答えています。
まもなく長男一麿が生まれましたが、夫妻は長男をドイツに残したまま、台湾に赴任することになりました。
岸氏は台湾で奉職中、当時の民政長官後藤新平に気に入られています。
その内に岸氏の愛情は冷め、岸氏はゼルマ夫人に離婚を迫ります。
ついに明治44年、岸氏は、
「ドイツに残しておいた一麿を教育するため、またお前がいれば十分な立身出世を妨げられる点があるから、ひとまずドイツに帰れ。こちらからは子供の養育費と生活費は必ず送る。」
と、公証人を立てて、
「ゼルマはドイツに帰って、子供の教育に従事すること。その費用として、岸一太は毎月30円を子供の養育費、100円を夫人の生活費として終生送ること。送金は毎月5日とする。その義務を怠れば、直ちに強制執行しても意義なし。
一太の収入が400円/月に達すれば、仕送りを120円とし、700円に達すれば130円とする。
ゼルマは6月9日に、日本を出発せねばならぬ。」
という文書を作り、夫人をドイツに追い返しました。
溜まりかねた夫人は、博士の旧師である金杉博士(*金杉英五郎、慈恵医大初代学長)に事情を訴え、金杉博士は後藤男爵や岸博士の態度を非難し、岸博士に忠告の手紙を出しました。
それもむなしく、契約通り6月9日、夫人は懐妊の身でドイツに旅立ちました。
ドイツ帰国後
ドイツに帰った夫人は、次男かづ太を出産。
一麿とかづ太の養育を行なっていて、岸氏も約束通りのお金を送金してきて、そのうち生活費を30円増額してきました。
ところが約1年を経過した大正元年10月に、博士からの送金が途絶えます。音信も取れなくなりました。
そしてその12月に、博士から離婚の訴訟があり、公示送達によって答弁の機会もなく、離婚の判決が下されてしまいました。
博士は判決が確定されると、新たに妻を迎え、ゼルマ夫人からの手紙に対して、何の返事もよこしません。
夫人はとうとう大正2年の7月、日本に戻り、執達吏に依頼して、滞納の生活費を強制執行します。
博士は直ちに異議の訴訟を起こし、この問題が表沙汰になりました。
裁判の争点
岸博士の主張
ゼルマは長男一麿を養育せず、他人に与えるとか売ったという噂があり、契約を誠実に履行していなかった。
よって契約を解除し、離婚訴訟を起こしたのである。
裁判が確定したため、証書に記載されている義務は消滅している。
ゼルマ夫人の主張
原告岸一太の主張は、不実、不法なものである。
契約を解除されたこともなく、一麿の教育も怠らず行なっていた。
原告が使用したドイツの探偵は、ドイツでは悪名高い探偵社で、全く信用の価値はない。
離婚訴訟は、ゼルマの不在に乗じた公示送達の方法で行われ、ゼルマは答弁の機会を得ず、形式上離婚された形になっているが、この判決を知り東京控訴院に控訴中である。
よって裁判は継続中で、離婚は確定していない。
これ以外にもドイツに帰って次男を生んでおり、それは岸も認め、岸の戸籍に登録してあるが、この次男に対する養育料は一銭も送っていない。
連載のまとめ
「この事件を皆さんはどう見るでしょうか、社会の判断を仰ぎます。」と、記事は結ばれています。
飛行機製作にお金が必要だったのか、医師会からの転身に、何か関係があるかもしれません。
 37:16. 2009年11月13日 17:27 投稿 … ドイツの文豪ゲーテが24歳から82歳までかかって書き上げたファウスト、それは古代ドイツの伝説である。多くの作家 …. CIAの罠にはまり親友を失った傭兵が、友の復讐を誓い、新たなミッションを遂行するアクション。 … 出演は「イントゥ・ザ・サン」のスティーヴン・セガール、「ブレイド2」のルーク・ゴス、「マルコムX」のロジャー・グーンヴァー・スミス。 …. 出演は新鋭のジョージナ・ケイツ、「クローズ・マイ・アイズ」「いつか晴れた日に」のアラン・リックマン、「9か月」のヒュー・グラントほか