1月 2016 のアーカイブ

吉祥寺石井寺

2016年1月29日

岡西公民館で石井学区の歴史を講演した岡山市埋蔵文化センター高橋氏に会い石井寺について聞いた。
早速一宮近くの矢吹さんの案内で見に行った。ちなみに共に電動自転車だった。
胎内銘札の検討
長柄葦原は,おそくとも古代末~中世初頭には一応の開発が終り,大安寺の荘園として早くから開墾か展開されていったようである。鎌倉中期には,一時皇室御料となったようであるが,その後の動向については判然としない面が多い。時代はずっと下がるが元文二年に成立した岡山藩の地誌「備陽国誌」」によれば,江戸時代の大安寺村,正野田村,矢坂村の三村を合わせて大安寺荘であったと記され,古代~中世にかけてこの地域か大安寺荘であったことは確かである。大安寺庄内の石井山吉祥寺とは,いかなる寺院であったか詳らかではないが,近世の文献資料にその名をとどめるものがある。現在の旧大安寺荘の推定地域内には石井山吉祥寺と称する寺院は存在しない。しかし,文禄四年の金山寺文書「備前国四拾八ヶ寺領并分国中大社領目録」によれば「石井山拾石」と記され,当時石井山(おそらくは吉祥寺)の存在を知ることができる。その後,寛文六年に池田光政によって強行された寺社整理に合って退転,廃寺となった寺々の書上げによれば,三門村に吉乗山石井寺と称する日蓮宗の寺があったことが知れる。この吉乗②山(吉祥山の誤記か)石井寺は,寺名と山号が逆転してはいるものの石井山吉祥寺に相違なく,寺院の変遷過程一般の中では寺名と山号が転倒する例がしばしばみられることや寺の在った三門村も旧大安寺荘内であったことからしても,天文年間における石井山吉祥寺と吉乗(祥)山石井寺は同一寺院であったに違いない。
石井山吉祥寺は,寛文年間に強行された池田光政による寺社整理に合って廃寺となり,その後再興せられることなく,現在まったくその跡をとどめていない。しかし,石井山吉祥寺に関するいくつかの文献資料と寺跡と推定される地域で古瓦の採集が行なわれ,吉祥寺が存在したことを裏づけている。
石井山吉祥寺に関する最古の文献資料は,現在のところ今回の修理で発見された胎内銘札である。それによれば当時の三野郡大安寺庄内に石井山吉祥寺があり,その南谷の住僧実蔵房の弟子実相房日永によって天文二年に毘沙門天の修理が施されている。銘文中の実蔵房の肩書きを記した部分にわざわざ南谷と但し書きが付してある点が注意される。このことは,実蔵房が吉祥寺そのものやあるいは本房の僧ではなく南谷の院ないしは房の住僧であったことを示し,当時吉祥寺を一山とする数院によって塔頭が形成されていたことを暗に示している。
この資料以前の状況を物語る資料としては,記年が不明のためその成立時期が判然としないが,「備前国金川臥竜山城主松田左近将監権頭元隆伝記」には,「当時他宗に改宗を迫りし寺山は下の如し」と記して「石井山○○寺」を初めとして日応寺,幸福寺等々の合計11ヶ寺の名を書上げている。この石井山○○寺は,おそらく石井山吉祥寺に相違なく,備前松田氏の十代に当る元隆によって吉祥寺が改宗されたことを伝えている。松田元隆は,松田氏系譜によれば寛政四年正月二十二日生,天文四年二月二十日卒となっており,その間73年を数え,当時とすれば非常に長命であったようである。元隆は,大永二年に左近将監に任じられ,権守を称している。彼に関する信頼できる文献資料としては,備前吉備津彦神社資料の中に文明二月六月四日付の「松田元隆花押下知状」があり,系譜に伝える④。時期に存在した人物であることが知れる。とすれば,彼が備前,備中で改宗を迫った時期は,彼の生存期間中であり,彼の没した天文四年以前であることは確かである。毘沙門天胎内銘札からしても少なくとも天文元年以前に石井山吉祥寺は松田元隆によって日蓮宗に改宗せられていたようである。改宗前の吉祥寺が何宗に属したいかなる寺院であったかについては一切不明である。(根木 修)仏像保存修理報告書より
写真 大覚大僧正が佐渡に島流の絵(祖粗堂)
石井寺跡近く A宅 美術館
妙林寺うえ辺りの古墳跡また富山城主弟の城跡


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西川緑道公園&枝川緑道公園ウオーク

2016年1月24日

西川は岡山藩主池田忠雄が開削しました(1615~1632の間?)
西川緑道公園として昭和49年から9ヶ年をかけて整備完成しました。南北に2.4kmの長さで全国に誇れる公園です。約100種類38,000本の樹木が植えられています。

①西川緑道公園起点
②後楽館中高等学校
③南方公園
原爆被爆者会が人類の平和を願う。
④万町跨線橋
⑤陸橋(万町跨線橋東)
⑥岡山県警察本部 鑑識科学センター
⑦青柳橋 旧ニノ橋 旧山陽道
後楽園通り
橋のデザインはタンチョウです
⑧スポーツ岡山  (運動具店)
⑨ビーナス像
1983年設置 大理石造り?
⑩野田屋町公園
このあたりは旧天城池目蕃屋敷跡です。公園内には福田英子女史の碑と薬学校(現関西高等学校)創立碑が有ります
上西川橋
⑪岡ビル
昭和21年岡山マーケットとして開業。
⑫桜花道
⑬緑の都市賞碑
モニュメントは万成石の彫刻家寺田武弘氏です
残念石 犬島にて大阪城修復の際、寄進される予定の石が残り 大阪城へ行きそびれた石を流用しています
⑮福武一二氏像
昭和38年設置  元岡山県興行協会会長
駅前橋
⑯若き日の母像
昭和61年設置 北村西望氏作 日展名誉会長、
文化勲章受賞、「長崎平和祈念像」の作者
⑰桃太郎大通り
岡山電気軌道(岡電)
明治43年創立営業キロ数4.7kmは日本の路面電車としては「日本一短い路線」です。「MOMO」、 「たま」の愛称電車で親しまれています
⑲桃太郎像
さるいぬキジ像他
蛭田二郎氏作品群平成53年設置日本芸術院会員
2002年日本芸術院賞受賞、大通りに20作品余有ります
⑳西川橋交番
建物が見る方向でピエロの顔にみえます
(21)
光珍寺
岡山藩始祖の宇喜多家の菩提寺
石渡住職による講話
(22)夢像
北村西望氏作 「ねむの花 しばしまどろむ ゆめの夢」
像の隣には「ねむの木]が植えられています
(23)平和の像 野殿橋
岡本錦朋氏作 元日展審査員、日展特選 岡山駅前の 「桃太郎像」、県営グランド「人見絹枝像」他
(24)和田博雄氏句碑
「冬夜の駅 妻一一人の 出迎えがよし」
元社会党代議士(元農林大臣)・俳句を愛した代議士
(25)岡崎平夫氏碑
元岡山市長(S48年~20年間)、「緑と花・光と水」をスローガンに西川緑道公園を整備 岡山市名誉市民
(26)岡山バプテスト教会
幸橋
(27)新聞配達少年像
朝倉響子氏作 昭和33年設置 日展特選
父は彫刻家朝倉文夫氏(:文イヒ勲章受賞)
(28)白鳥放鳥記念碑
昭和54年設置 現在白鳥は岡山城のお濠にいます
(29)水上テラス
緑道公園随一の憩いの場所です橋上の盤に岡山市の友好都市の名前と方向が記されています
(30)下石井公園
市立幸町図書館、D51の現物を展示
(31)やわらぎ像
(下石井公園内)
昭和55年設置 佐藤健次郎氏作 国画会会員
(32)シゼンとヒト (下石井公園内)
平成21年設置御影石・万成石造り
伊丹修(オサム)氏作倉敷芸術科学大学卒
(33)杉山岩三郎翁胸像(下石井公園内)
岡山商法会議所初代会長、中国鉄道社長他明治期の大実業家で「岡山西郷」と呼ばれた
(34)戦災の碑 (下石井公園内)
昭和55年設置 昭和20年6月29日午前2時40分から2時間の岡山空襲の戦禍の記憶をとどめるために設置
(35)出石橋
(36) 旧杉山邸和室
セントラルホテル内和室にて杉山家より説明いただきます
この部屋には伊藤博文、勝海舟、伊藤博文、大隈重信、渋沢栄一他多数の幕末、明治の政財界の名士が訪れました
(37)武家屋敷土塀 旧杉山邸外塀塀の瓦の家紋は五瓜三引両紋と見えます
御幸通り記念碑
明治43年11月陸軍大演習で来岡され後楽園大本営行在所から下石井の煙草専売用地に向かう際この地を行幸されました。この通りを「御幸通」と呼ばれました
(38)田町橋
明治43年木橋、昭和5年コンクリート橋にて架橋
昭和20年6月29目の戦災の跡が欄干に残ります
(39)平和之女神像
北村西望氏作
(40)木の板渡り道
旧ホタル沢
(薬研堀橋)
橋の石碑が陰涼寺地内にあります
(41)下田町公園
亘月
冠正稲荷大明王、庚申塚神・仏・道教が祭られている
(42)陰涼寺
臨済宗妙心寺派国情寺の御成門を移築(蝶の紋)
境内の水墓に戦争の際の焼夷弾のやけただれた跡があります
(43)国道旧2号線
交差点が瓦橋 旧九ノ橋
(七軒橋)
西川下流にあります
(44)枝川緑道公園
(45)和風庭園
池、あずまや、木橋の造作が素晴らしい
(46)
正一位稲荷大明神
(47)「親と子」の像
彫刻家坂本博司作 1985年設置
(48)噴水広場
石組がすばらしい
(49)
大学病院東
<岡山市観光ボランティア活動連絡会 倉田 範生 編>
40分ビデオDVD

惑星物質研究所&山田養蜂場見学

2016年1月16日

三朝温泉郷は、伝説によれば1163年に発見されたという歴史的な温泉で、源義朝の家臣、大久保左馬之祐(さまのすけ)が源氏の再興を祈願し、三徳山三仏寺に赴いた折に命を救った白狼が夢枕に立って、楠の老木から湯が湧き出ていることを教えたといわれる。この湯が元湯の株湯である。
• 1949年5月 – 岡山大学設立。同大学に岡山大学放射能泉研究所を附置。
• 1951年4月 – 放射能泉研究所を岡山大学温泉研究所に改称。
• 1985年4月 – 温泉研究所を岡山大学地球内部研究センター(全国共同利用施設)に改組・転換。
• 1995年4月 – 岡山大学固体地球研究センターに改組。
• 2005年4月 – 岡山大学地球物質科学研究センターに改組。
• 2007年4月 – 地球物質科学研究センターを母体として、岡山大学大学院自然科学研究科に地球物質科学専攻を設置。
地球の化学的組成は水素を始め、マントルにより火山から鉄・銅などさらにラドンと人類が恩恵を受けていることが多いことが分かってきた。
ハヤブサ帰還で有名となり5年後の帰還の準備をしている。
中村所長は、フランス留学の成果として世界に誇れる手作りの隕石分析試料のためクリーンルームなど設備を充実している。
研究所内を案内頂いた。
ちなみに、植木等など肺気腫治療に効果があると云われてラドン温泉研究施設が再開することを期待したい。
真庭市鏡町に新工場を完成した山田養蜂場を見学した。化粧品工場は未完成だった。
(2時間DVDビデオ)
写真 惑星研 中村所長
三朝温泉
養蜂場新工場内

ホタルin 岡山

2016年1月14日

藤田公民館での児島湖フォーラムは鮒飯・鯉料理でなく、「児島湖流域のホタルの飛翔とビオトープの創生」が議題だった。
「楢津のホタルを親しむ会 8年の実践」
ホタル孵化ご135日で100匹飼育が成長度・生存率がよかっかった。幼虫の自然界での生存率は1%以下。
揚水循環型の飼育水槽でカワニナが長期飼育が可能。
6~7mm以下の
カワニナをホタルに食べさせる。
ホタルの捕獲は難しい。
ホタルの採卵・孵化法
2千匹以上の超過密状態で1度カワニナを食べ成長スイッチ入れさせる。
3日ごとの水換え。
2週間後 100匹以下1ケース(313×449×155)23㍑、50mmに18φの排水穴3ケ、底に川砂、
給餌は週1回、水を動かす
岡大 環境 「ホタルプロゼクト 誕生池に蛍が舞う」 2015年11月~ビオト-プ池 水路護岸工事
2015年6月ゲンジ蛍を飛ばす準備中
「ホタルが乱舞する古里 次世代に」奥迫川自治会
30~40年前乱舞していた川に、川が流れるようにしてホタルが復活した。ホタル祭りを企画している。
「地域の水環境を見つめて ~もう一度、ホタルの舞う故郷を~」妹能公民館
箕島地区は、妹能川の引き込み水路が汚染して藻などが大量発生しているが池の端にホタル生息地が残っている。増やして幼児など招きホタル祭りをする。
グールプによる討議・発表。
[2時間ビデオDVD]

2016元旦

2016年1月5日

今年の日の出は太平洋岸で晴天に恵まれたが、残念ながら岡山地方は薄雲に覆われ雲の隙間からの初日の出となった。数日前は児島湖に上がる日の出が屈折率により巨大な太陽となったのに残念であった。
皆で、御節とお雑煮を食べ一休みする。
瑜伽山に出かける。
蓮台寺の由来
今から千二百年前、奈良時代に行基菩薩が五塵の垢を洗う聖地瑜伽山に一寺を開き、阿弥陀如来・薬師如来の二尊を「瑜伽大権現」としてお祀りしたのが瑜伽山蓮台寺の始まりで、江戸時代には両まいりの寺として伽藍が整備されました。瑜伽大権現は霊験あらたかな、「厄除の権現さま」として、備い前藩主池田継政(三代)以降、当権現への信仰は篤く、祈願寺として藩主自ら参拝になられました。(その時に宿泊使用された建物が「蓮台寺客殿」です。)永い歴史を持つ蓮台寺には、客殿・観音堂・権現堂一大師堂・多宝塔など多くの貴重な建造物が点在しています。平成十年には、別格本山蓮台寺の本尊十一面観音、厄除本尊一肩伽大権現、宗祖弘法大師の「瑜伽三尊」をお祀りする、祈祷と供養の殿堂「総本殿」が完成し、過去と現在が調和した大伽藍となっています。中でも、菊花御紋章入りの筋塀に囲まれた客殿は、絵両を含め全てが県指定の重要文化財です。
写真 初日の出

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