5月 2010 のアーカイブ

リビングの天井

2010年5月31日

リビングの天井
 天井を取って拭きぬけとすると、風化した藁が風で落ちてくるため、高くした天井はコンパネに畳表を張り、その上に割り竹を敷き詰めて、割り木で固定した風合いのある凝った仕上げとなりました。黒い梁と調和したものとなりました。

冨山城北の丸跡崩壊寸前

2010年5月30日

冨山城北の丸跡崩壊寸前
 春先に桜の咲いた頃、矢坂本町より冨山城跡に登った際、北の丸跡は崖っぷちに少しの残っていましたが、さらに石切が進み、平らな部分が少なくなり、下の石を一つでも取ると、あるいは地震、大雨などがあると全壊する状態なっていました。北の丸跡のわずかに残っている平らな部分の周りの松が雨で倒れた痕跡が写っています。
 早急に石の採掘を中止し補強などの対策が必要でしょう。大雨で土砂崩れが起こると、矢坂本町に土石流が流れ埋めつかされる恐れがあります。以前にも部分的に土砂が流れ出して住宅地の何軒かが被害を受けています。
 矢坂山を南から見ると樹木に覆われた自然な山に見えますが、北に回ると採石により醜い山に見えますが、さらに中に入らないと危険性のある現状は見えません。岡山市の早急な対策が望まれます。
   平成21年3月8日                          平成22年4月8日
 

中心市街地活性化法への疑問

2010年5月24日

中心市街地活性化法への疑問

 中心市街地活性化法は略称でありまして、正式には「中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進に関する法律」であります。

この法律は、空洞化の進行している中心市街地の活性化を図るため、地域の創意工夫を活かしつつ、「市街地の整備改善」「商業等の活性化」を柱とする総合的・一体的な対策を関係省庁、地方公共団体、民間事業者等が連携して推進することにより、地域の振興と秩序ある整備を図り、国民生活の向上と国民経済の発展を図ることを目的としています。

これは、中心市街地を一つのショッピングモールと見立てて、都市基盤の整備改善と商業等の活性化を柱とした、ハード、ソフト両面にわたる諸施策を関係省庁が連携し、重点的に中心市街地の整備を図ろうとするものであります。

この説明によると、商業の停滞に対する打開策となっていますが、都市の空洞化により夜間住民が少なくなり防犯上好ましくなく、また郊外に住宅が無秩序に拡散し、さらに大型店舗が乱立したため、行政コストが大幅に上昇するなど不効率な都市、地域が誕生してしまたことによります。さらに高齢者が増加している時代にバリアーフリー都市形成に適していると理由付けされています。

 はたしてそうでしょうか、特に岡山市は広域的な主として岡山平野に形成されています。山林を切り開いた都市でなく稲作の水田に広がった都市であり、気候的に温暖な地域です。

住宅(屋敷)面積は世界標準では1000㎡ですし、島国の日本ではそれに達していないまま、特に江戸の下町狭小住宅等に代表されるような生活に適さない住宅や文化住宅、公団住宅と称してそれの流れがマンションに継がれ格安マンションとして続々と建てられています。エコ住宅として推奨されているのは300㎡の住宅の前庭に200㎡の家庭菜園、裏庭に200㎡に果樹園をそなえる合計700㎡相当の屋敷が理想とされ計画・模索している地域があります。

都市の象徴として高層ビル・マンションが争うように建てられてますが、はたしてそれが住みよく、効率的な都市でありましょうか。欧米の大多数の都市に高層住宅は少なく、秩序よく、緑が多く配置された都市となっています。アスファルトとコンクリート、住宅、ビルに埋め尽くされた都市は限られています。

都市・住宅ともに戦後復興のスクラプビルトが繰り返されています。本来の岡山の有利性を見出し、既存に整備された交通網を有効に利用すること(例えば山陽本線、伯備線、津山線、吉備線、瀬戸大橋線、水島臨海鉄道など)こそ、思想的都市再生ではないでしょうか。

 

北長瀬駅北口水路の清掃

2010年5月23日

北長瀬駅北口水路の清掃
 北長瀬駅がオープンして便利になり、通勤客中心に乗降客が多くなりました。ところが南口や他の駅のに比較して、水路の載り面に雑木が多く、下草も刈り取られていません。草花、アジサイ、ツツジ、桜、モミジを植えたらとの意見もあります。
 そこで、JR中庄駅長(北長瀬駅担当駅長)と岡山保線区助役らの協力を得て、市久会メンバー6名で、今回は川舟で対岸より渡り、プラットホ-ム下より能登川用水橋梁までの載り面の雑木の伐採と下草の刈り取りを行いました。
 何時の時代の護岸か石積が崩れているところが多く、ニュトリアが多く生息しているそうです。足場が悪く、急傾斜のため、さらに当然鉄道路線よりには危険が伴なうため立ち入りできず、思いのほか大量にあって午前中かかりました。当初、雑木、草は舟で運ぶ予定でしたが、JRで片付けてくださるとのことで助かりました。
 さらに胡麻田地下道まで順次綺麗にしてゆきたいと考えていますが、雑木が自然に生えたのが沿線住民にとって車窓からの目隠しなって切ってもらては困るとの意見や、JR用地と水路の間に民有地があるとのことで水路の管理者である岡山市役所と岡山保線区が協議と協力を仰いでいただけることになりました。
 

植物による水路管理

2010年5月18日

植物による水路管理
 5月15日児島湖流域フォーラムにおいて岡山市環境局環境保全課 心光清課長補佐により「植物による水路管理」の講演がりました。
 流域の家庭の浄化槽を合併浄化槽化や下水道整備を進めることが好ましいのでしょうが、いずれもさらに進めることに課題が多いようです。水路をを利用した水の浄化は植物の浄化能力を利用しますが、概念的には効果的に見えますが、数値的に実証されておらず、近隣住民の協力・理解が必要でまだ課題が多いようです。
 
 昨年より溝に笹が瀬川自生の黄ショウブなどをポットに植え浮かべてみていますが、大雨のたび流され、固定が大変で、溝に比べてポットが多きため落ち葉、ゴミが溝をふさぎ流れを妨害しています。水を流すのみ最低限の溝しかないのに本来無理があるのでしょうか。側溝壁に生えるセリは冬場でも生育するし除去も簡単なためむしろ好ましいようです。
 「植物による水路管理」に先立って、岡山県環境文化部環境管理課の西平強課長の「児島湖の水環境」によると岡山平野は児島湖とほとんど同じ水位で、雨が降らない限り水の滞留状態が続く特殊地形にあるとのことです。また、COD,リンは微減しているが環境基準に達せず、窒素は横ばい状態にあります。県としては打つ手なしと言った感じでした。

春祭り

2010年5月17日

春祭り
 田植え前のこの季節は、各地で春のお祭りがおこなわれます。野殿八幡宮(菅原道真を祀っているといわれる)、矢坂の北向八幡宮(宮司は冨山城主の子孫といわれ、総社宮も合祀している)は既に終わり、5月9日には隣の日吉宮とともに白髭宮に今村宮の神主さんがこられて、お祈りしました。
 白髭宮は市久の守り神として北長瀬本町、表町、日吉町の氏子が多数お参りしていましたが、山陽本線に分断され、南は中山道の白鬚宮の氏子に、新幹線基地工事のとき北長瀬本町の中心部に移設した日吉宮に氏子が移り、白髭宮の氏子は極端に減りました。
 日吉宮の元の場所については、前に書き、その創建に関する推論にも触れました。滋賀大津の日吉大社とは関係ないとの話を聞き、推論を展開してみました。大安寺の庄と市久の保の境界にあったことより、また樋門は新幹線基地の工事のとき南・西に移転していますが、観音寺用水を市久に取り入れる、灌漑するのに重要な位置にありました。今でも樋門の近くに祠を建てお守りしているところは多くあります。
 民間信仰多くのお宮同様に、「樋守」ひまもりの神が、いつしか「日吉宮」に同化したのではないでしょうか。
 

富士山の雲

2010年5月16日

富士山の雲
 13・14日は久しぶりに東京へ出張しました。丸の内で会議があり、夜には八重洲のホテルで旧友に会い、トンボ帰りしました。新幹線の車窓から富士山が見えましたが、山頂は雪に覆われ綺麗な真っ白でしたが、中腹の雲は心なしか薄黒く、特に東京よりを裾野を覆っていました。
 現代の世相を反映しているのではないかと危惧します。歴史的に見ますと政朝が病むと自浄作用が働き、それでも正常にもどらない場合、民は離れ遷都が行われました。東京に立ち込めた黒い雲は、裾野の民を照らすことがなくなっています。
 
 
 改装なった岡山駅西口

墓地傾斜整地

2010年5月9日

墓地傾斜整地
 5月9日(日)は朝8時30分より白髭宮、及び日吉宮の各氏子が出て春夏の大祭前の除草、清掃が行われました。草は前もって除草剤を散布してありましたが、鍬で取り除き、大量の落ち葉を集め焼却しました。
 
 更に、10時より日吉町にある北長瀬共同墓地の傾斜整地作業がほぼ同じメンバーで行われました。この墓地は、昭和38年ごろの土地改良区画整理で墓地を集めて誕生しました。40年以上経過し、当初お互いに区割り墓地の地上げは控えようとのことでしたが、参道に水が溜まることより、すこしずつ盛り土してきたため墓地に水が入るようになり大分の墓地が新たに延石を入れ10cmほど上げてしまいました。
 元のままの墓地に水が入り、さらに高くしている墓地間の争いも起こっていて暗渠を入れる案も検討されましたが、今回共同して参道に傾斜をつけて整地することになりました。
 1%程度の傾斜をつけるのが望ましいのですが、中心部の従来の延石と端にある排水ピットとの高さの差は80~100mmほどしかなく、山土の透水性があるとは言え、片流れで0.3%しか傾斜がつけられません。
 計算すると、南北62m×巾2m×2本×厚さ2cm×高すぎる場所50%=約2.4リューベ(m3)が余ることになります。
好ましくは無いのですが、削り取った山土を、延石を越えて盛り土させてもらって中央部を高くさせてもらいました。硬くなった山土を削り取るのは大変な作業でした。
 
 翌日雨が降り、墓地の参道に多少の水溜りが見受けられました。水が溜まった周り、ないしその手前の土の削り取りが足らないことが分かります。
 南より東の参道
 
南より西の参道
 他の共同墓地を見ると利用規定を掲示しているところが多いため文案を作ってみました。

北長瀬共同墓地管理規則

1.組合員は、管理費として年500円を納入する。

2.お供物は、速やかに持ち帰ること。

3.掃除の献花・草などは、持ち帰ること。

4.除草・清掃に勤めること。

5.墓地には、樹木を植えないこと。

6.墓地を工事する場合は、連絡すること。

7.使用権は、区割面積とし、むやみに盛土しないこと。

北長瀬共同墓地管理組合

日吉宮の元の場所

2010年5月8日

日吉宮の元の場所
 北長瀬物語に日吉宮について次のように書きました。
 

大川の東の田圃中にあったお宮を新幹線基地の新設に伴い、昭和45年に現位置(北長瀬駅前)に移築した。ちびっこ広場と共に祭りなどで町内の中心となっている。

 『大野村誌』の日吉神社の項回には「本社は北長瀬東部宮の下に在って、在殿は東面して居る。一、祭神、江州日吉神社と同じで、大山咋命である。二、社地、一段九歩(旧社地は東西一八間一尺二寸南北一〇間一尺との記事がある)。三、氏子、北長瀬の内約二〇戸。四、社殿、一本殿、梁行、照尺。桁行、四尺。五、伝説、松田の宮と言い伝える又同社の南の道も松田の宮前の道と言うて居るので、松田氏の創建の説がある」と記されています。
  日吉宮の元の場所についてすでに定かでなくなっています。
終戦後大川が埋め立てられた土地改良区画整理前の昭和32年に航空写真が取れていて、避病院・日吉宮・旧大野小学校・大川・胡麻田地下道が写っています。その後新幹線基地が昭和45年ごろできました。この写真の上に最近の市街地図を合成すると、避病院の東西の道路と旧大野小学校と胡麻田地下道を結ぶ南北の道が交差し、更に少し東に入った所に北に入る参道があり、当時は竹と雑草に覆われた中に祠がありました。
 避病院も日吉宮も新幹線基地の下となっています。
 御南中学の佐藤勲先生の「あけゆく郷土」によると避病院あたりに大安寺の庄の南の堤防があったと書かれています。避病院当たりの東西の道は堤防のように広く小高くなっていました(車が入るためと思っていましたが)。
 奈良時代から平安末期の市久の保ができるまでの堤防であったかもしれません。室町時代に富山城を出城とし御津郡を統治した松田にとって、津高郡の吉備津彦神社の荘園の「市久保」あることは何らかの監視が必要であったかもしれません。あるいは時代はさかのぼり大安寺の庄の樋門を祀る場所が日吉宮であったかもしれません。
 ちなみに新幹線基地の北には観音寺用水の末流の雑用水となっていて大安寺の庄を潤し、さらに大川沿いに流れ、一久川ともつながっています。
 琵琶湖の畔の日吉大社は俗に「山王権現」といわれ、大乙貴神(亦の名を大国主神)を祀る西本宮と大山咋神を祀る東本宮を中心に、山王社21社(上・中・下各7社ずつ)が祀られています。
この日吉大社が京都の表鬼門に当たり、京都御所の鬼門「猿ヶ辻」と呼応し合っています。
さらに国家鎮護・方除けの神として祀られ、天台宗の比叡山延暦寺の護法神・加護神としても祀られています。
 江戸時代建立の中仙道の白鬚宮が同じ日吉大社を祀っているのと関係があるのでしょうか。
 

躍らされる政治家

2010年5月5日

躍らされる政治家
 表題の政治家が誰であるかは、思い当たる人は多いと思われます。民意は理想と欲望の塊かも知れません。
 人は火を見つけ、生活を豊かにしましたが、未だに持て余しています。そして、物質の本質を見つけ、原子力を手に入れても悪用のジレンマから脱していません。
 政治理論・経済理論につて語るべくもありません。
 話が飛躍しますが、自然とのハイブリド(融合)型の道を歩むより仕方ないのかもしれません。
 次の論説は学者が大衆をあおることなく、本質を探究することこそ眞の道が見えてくるということでしょうか。
 

拙速な地球温暖化対策を憂える

一科学者の責任は重大 

Makoto MISONO 御園生 誠 東京大学名誉教授日本化学連合会長

科学者と社会

 科学者が(技術者,人文・社会科学者を含めて),社会から敬意を払われ仕事の機会を与えられる根拠は「社会への貢献」と「倫理性」にあると考える。したがって,専門性を活かした判断や判断基準を社会に提示し,社会に正しい選択を促すことは,科学者の社会への重要な貢献であり,倫理,責務でもある。 その意味で,地球温暖化の問題は,科学者がその存在価値を示すよい機会であろう。なぜなら,気候変動に関する政府間パネル(IPCC)報告に見られるように科学者の影響力が大きい上,人類の行方を決めかねない重大な問題だからである。

対策のコストパフォーマンス

電気自動車はCO2削減効果があるか?

 次に,CO2削減技術を、 コストパフォーマンズの面かも検証する。太陽光発電で電気自動車を走らせれば,すぐにでも低炭素社会が実現すると思う向きもあるようだが,それは幻想である。「量的関係」と「時間軸」が間違っている。そのことを数値で示して,対策の優先順位について合理的な判断をすべきことを訴えたい。具体的対策のないまま,高い目標がもてはやされる風潮を見るにつけ一層そう思う。まず,量的関係であるが,現時点で,太陽光発電は世界のエネルギー消費量の0.010.02%を占めるに過ぎない。日本でも0.10.2%。日本で数十倍にしても,正味のエネルギー供給量もC02削減量も世界で見れば大した量にならない。それに引き換え,新興国全体で今後25年間に見込まれる排出量の増加は,日本の総排出量(世界の5%弱)よりひとケタ大きい(中国,インドの例を図に示す)。

 次にコストパフォーマンスを考えてみよう。太陽光発電はCO2排出が1kWh当たり53gで、電力平均の420gに比べはるかに少ない。しかし、発電コストは約 45円で(風力発電は約12円)、電力平均の約7円より ずっと高いので,C021トンの削減コストは,45-7) 円/42053g10万円/トンになる。さらに、太陽 光発電が普及すると、供給電力の平準化のため蓄電設備が必要で、そのコストは太陽光発電コストに匹敵すると言われる。仮に半分とすると約10515万円。 排出権取引相場が現在1トン約1,500円だから、その100倍である。他方,原子力発電のコストは電力平均 より安い。評価が難しい廃炉、廃棄物処理などを加えて,削減コストは排出権相場程度であろうか。

  このように太陽光の利用は将来的に期待したいが,大量普及するには現有の技術は未熟だと言わざるを得ない。拙速な普及より,21世紀後半の普及を目指して基幹的な技術の革新に力を注ぐべきである。

 次に,電気自動車の例として、電池だけで走るアイミーブを考えてみよう。担当する軽自動車は10km走るとガソリン約5,000 L (ガソリン代約50万円)を消費し,C02を約12トン排出する(ガソリン1Lから2.4 kg排出)。アイミーブではこれらが節約できる。しかし,10km走る電力のために発電時にC02が約4トン排出される。予定価格が約460万円なので,軽自:動車との価格差は約350万円(高価な理由は大量に積むリヂウムイオン二次電池)。これでCO2削減コストを計算すると,40万円/トン以上になる。他の削減手段に比べてはるかに高額である。

  これに加えて,製造時のC02排出がある。価格から考えてその量は相当大きい。日本のGDP約500兆円に対し約13億トンのC02が排出されるので,単純に言えば,350万円の価格差は約9トンのC02排出に相当する。もし、この値を採用すると、C02排出量はアイミーブの方が大きくなってしまう、(製造業の平均排出量だとさらに大きい)現段階では,削減効果から見ても優先すべき対策とは言えない。太陽電池と同様,じっくり技術革新(特に蓄電池)に取り組めばよい。蓄電技術は,変動する自然エネルギーの利用にも不可欠である。いずれも化学の出番が多い。

 同様に、削減コストは、安価なブラジルからの輸入バイオエタノル、先代プリウスともに約4万円/トンと試算される。もちろん,これらは,およその値で,かつ、将来は安くなる可能性がある。また,大量普及によっても変わる(増減両方の可能性)

 環境の維持にどのくらい費用をかけるのが妥当なのか。また,経済性だけで判断してよいのか,などの問題は残るが、あまりにコストの高い対策は優先順位を下げた方がよい(通常,C02排出量はコストとともに増加)。他の諸対策についても同じようにコストを試算して北較することが有益であろう。

 コストパフォーマンスの議論は机上でやっても埓が明かない。実績に基づいて決着をつけるのがよい。ちなみに知人のオール電化住宅では,15年前に設置した太陽光発電設備の15年間の実績が,買電量:発電量:売電量≒10 :3 :1だそうである。

 

化学と工業Ivol.63T5 Moy 2010