3月 2017 のアーカイブ

山田方谷、これからの時代、どう生きるか?

2017年3月6日

平成29年1月29日に高梁駅前で金森秀禎さんが制作した山田方谷像の除幕式が行われた。

高梁市総合文化センターで下村博文元文部科学大臣の「山田方谷、これからの時代、どう生きるか?」と題して講演があった。

トランプ大統領選の結果をどう見るか

   格差の増大

シンギュラリティー(技術的特異点)の到来

 AI、機械が人の仕事を超える 10~20年後  失業者の問題

ダボス会議の主要議題

  AI・ロッボトの時代

「収穫加速の法則」と「シンギュラティー」

  新たな産業革命に覚悟が必要

平均寿命の推移 10~20年以内には寿命が無限となる

日本・地方の課題

  ①人材育成 ②産業構造改革 ③新たな技術投資

未来の生き方

 自由な働き方が可能となる。

協労・チムワーク

人工知能と経済の未来

  1割の人しか働いてない未来 最低限所得補償制度

既にAI社会に突入している。

 必要な資質・能力は

教育立国に向けた労働価値観

  人材価値倍増戦略

5つの社会ビジョン

  1. 教育平等社会

  2. 挑戦応援社会

  3. 障害成長社会

  4. 働き甲斐社会

  5. 人生支援社会

邪馬台国は福岡県にあったーありえない畿内

2017年3月1日

平成29年1月8日に国際交流センターで岡山歴史研究会主催の新春講演会が開かれた。講師は安本美典先生で「邪馬台国は福岡県にあったーあり得ない畿内」が演題であった。

卑弥呼天照大神は同一視できる。『魏志倭人伝』のなかの地名との類似から邪馬台国九州説が有力である。文献によると邪馬台国には28万人もの人がいたとあり、そこから類推し、邪馬台国はいくつかの国の総合名称であり、吉野ヶ里遺跡は女王の支配国の一つであったと考える。つまり、卑弥呼の宮殿は筑後川の上流にあり、流域すべてが邪馬台国ではないかという説である

邪馬台国や古代史問題について、日本神話は実際の歴史上の出来事が伝承として伝わったものである。トロイ戦争など神話だと思われていたことが実際の出来事に基づいている例は多い。高天原邪馬台国天照大神卑弥呼である。天の岩屋戸の伝承は卑弥呼の死と台与の相続を暗示したものである。記紀では高天原は九州にあったとされるため邪馬台国は九州である。神武天皇の東征などは基本的に事実を基にしているはずである。欠史八代の天皇など、架空とされた天皇は実在する。天皇の在位年数は、時代を遡るにつれて短くなる傾向がある。多くの天皇が実在しないと仮定するよりも、記紀に書いてあるとおり実在し、その在位年数が信じられないと仮定したほうが、矛盾が少ない。平均10年の在位で計算すると欠史八代の天皇の前が神話の時代に相当し、卑弥呼の時代が天照大神に相当する。

数理文献学的分析によると古代の王の在位の平均は約10年である。記紀では欠史八代を直系相続としているが、実際は兄弟相続だった可能性もあり不自然ではないとする。

ツツジ祭 & 講演会2017

2017年3月1日

ツツジ祭 & 講演会

平成2931日 

「市久会」「矢坂山を語る会」

寒四温で日ごとに温かくなり、矢坂山の山桜と山ツツジが楽しみな季節になってきました。

午前は、鯉ヶ池周辺、富山城跡、尾根の山ツツジが楽しみです。

午後は、講演会を開きます。

奮ってご参加願います。

 

日 時 : 平成2948日(土)

 9時より16

場 所 : ツツジ鑑賞会  9時より自由登頂

  •    大野コミュニティーハウス集合 岡山市北区大安寺東町23-21

 

 

講演会     1330分より 大野コミュニティーハウス 2階 50名 申込順

演 題 : ①納豆と焼酎のちょっと良い話 倉敷芸術科学大学特任教授 須見洋行氏    ②―日本初の飛行機を作った医師-岸 一太  市久会   坪井 章氏

        要旨 裏面

会 費 : ツツジ祭 無料(飲物・昼食など各自)

          講演会 500円(資料代)

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講 演 要 旨

 

納豆と焼酎のちょっと良い話

倉敷芸術科学大学生命科学部 特任教授 須見洋行

 

納豆も焼酎も共に日本が生んだ発酵食品であり,効能のあることがわかってきた。

まず,納豆については,「腹中をととのえ,食をすすめ,毒を解す」と江戸時代の『本朝食

鑑』にも記載があり,明治初期にはコレラやチフスに対しても効果があると報告されている。

納豆には,このような抗菌物質の他にも最近様々な機能成分が見つかっている。血栓溶解酵

素ナットウキナーゼの発見を皮切りに,骨に必須のビタミンK2(メナキノン-7),抗老化物質ポリアミンあるいは免疫力を増すなどである。

一方,焼酎は泡盛と共に「血の巡り効果」がある。とにかく,少しは飲む方が良いよう

である。時間が許せばこうした本格焼酎の良さも交えてお話ししましょう。

 

 

 

 

―日本初の飛行機を作った医師-岸 一太

市久会 代表 坪井 章

岸一太は、明治7年大野村北長瀬(現 岡山市北区北長瀬本町)に生まれる。

明治26年第三高等学校医学部(現岡山大学)に入学。明治32年文部省から選ばれ、ドイツに留学。34年「ドクトルメディチーネ」の学位を授与された。35年総督府医院医長及び医学校教授に任命された。医学博士となり、11月に退職。関東軍督府技師兼満鉄大連病院長に任用3年勤務。院内に胸像を建てられた。露国皇帝より神聖アンナ2等勲章を授与される。

大正2年より東京都京橋区明石町に、耳鼻咽喉科医院を開設。富山県剣岳山中の池ノ平周辺に鉱山(輝水鉛鉱モリブデン)を開発し、1914(大正3)年ごろモリブデン鋼を使った素材でルノー70馬力発動機の試作を繰り返し、1915(大正4)年11月19日に試作に成功した。大正5年にはモーリス・ファルトマン1913年型機を模した機体に装着し、つるぎ号と名付けた。 東京都赤羽に民間航空機製作所を創設した。つるぎ号として6号機まで飛ばしたが資金難に落いる。中島飛行機などによりその技術は日本のゼロ戦に発展した。

大正12年9月1日未曾有の大震災で、東京、関東は甚大なる被害を受けた。帝都復興院が置かれ、技師として参画し、道路計画にも創意した。昭和12年に惜しむべく、脳溢血で他界された。