3月 2012 のアーカイブ

矢坂山に案内板

2012年3月27日

3月24日に矢坂山に3名で登り案内板を設置しました。公開は4月8日の玉松会の予定です。前日の雨と一変して晴れ渡りましたが春一番か風の強い日になりました。矢坂本町の鯉が池の下まで車で登り、そこから資材・道具を山頂の富山城跡の2の丸跡まで担ぎ上げました。駐車場の登り口にT組が移植した桜が雨で地盤が緩み倒れていました。帰りには完全に横転していました。  前もって張っておかなかったのが悔やまれるのですが、ベニアパネルにA-1に伸ばしラミネートした城跡の絵図(玉松会で彩色)と矢坂山の登山道の地図を裏表にボンドを周辺に塗りホイッチキスを打って張りました。 数年すると色が消え見えなくなるかもしれません。二の丸の入り口付近に南北に設置することとしてくい打ちをしました。少し南に傾いたようです。それに4.5cm角のアルミ支柱を立て、ビスで止めたわけですが思いのほか穴が合わなく固く手間取りました。公開日まで傷つかないようシートで覆って、12時までかかりました。  地図については種々議論がありました。原図の適当なものが無く拡大すると荒くなって読みづらくなりました。山頂に富山城跡を重ね合わせたため雑然となりました。矢坂山が読みづらくなり、逆に野殿山、大野山が目立つことになりました。大野山については魚見山と矢坂山を含めての名称とか、南より見た名前とか意見があります。大野村に由来する名前なのですが、尾根の一つとして名前を記し、たとえば法事古墳は魚見山と大野山の谷間にあり大野山の山道より入れるなど案内しやすいのではないかと考えています。大野の名前自体が消え失せて行くと残念がられる古老が増えています。史跡の名称については古より地元で呼ばれるものと外から来られた方が付けられた名前が交錯しています。コウノ岩も少なくとも三か所あります。地元ではコウノ鳥が巣を作っていたからとされていますが神の岩が通説です。愛称、あだ名など面白い呼び名があっても良いと思いますが。行った人が名前が分からず勝手に付けた名前が世間で流布する場合は多いのではないでしょうか。ましてや昔の名前が忘れられ新た名前が付けられる事例は多いです。矢坂山は地元では甲山と呼んでいたようです。  いずれにしても案内板を設置してほしいとの意見は多いのですが、登り口ごと、大安寺駅、北長瀬駅など候補は多いのですが山頂にとりあえず設置しました。ご意見を聞きながら改善してゆきます。

魚見山の火事

2012年3月20日

9時前に車で出かけ、野山変電所裏に止めてゆっくりと登りました。前回に比べてロープも余り使わず楽に上りました。途中で横に伸びた松があり逆光で幻想的な風景でした。野山こうの岩辺りまではツツジは疎らでしたが、野山見晴台にかけて群生していて西バイパスから見えるのではないかと思えました。変電所上の落ちそうな岩が目標のようです。この岩まで上がると変電所裏の鉄塔50m程度より中々上に行かなかったのですがやっと下に見え始めました。見晴台から鯉ケ池城跡(仮称)までツツジの群生地が続きます。矢坂本町への分かれ道の途中にあります。2番目の鉄塔の方から入ります。鯉ケ城跡は異義があるようですが尾根に100~200㎡の石垣のある人工的の均された場所であり、富山城の水の手の鯉ケ池の守りと、笹が瀬川を挟んで吉備津彦神社が対岸にあり、砂川も見られ水運を監視する場所と備中の守りとしての役割の城ないし砦があても可笑しくない立地と考えられます。少し早かったですが11時ごろおにぎりを食べました。先日のRSKラジオで霧島ツツジが有名で観光客が多いが、岡山のコバノミツバツツジは更に素晴らしいと語っていた。日照と少雨、乾燥土壌の条件に矢坂山は自然条件も揃っています。 また引き換えしすべり山を通って魚見山方向に歩を進めました。3月13日に山火事がありヘリコブターで放水して大事に至らなかったとのことでした。魚見山の裏手で西斜面が約300㎡ほど焼けていました。タバコの投げ捨てではないかと云われています。松葉に火が付きやすくシダ類は下の枯れた葉を伝って延焼し易いそうです。 大安寺へ降りることにして、途中で野殿こうの岩に寄りました。磐座研究者によると「方位岩」と呼ぶそうです。その岩のよく見ていると後方の岩に念仏を掘った後ではないかと思われる痕跡がありました。 麓の竹林を通りましたが竹の子はまだのようでした。午後2時前に帰宅しました。

ツツジ鑑賞会&焼肉

2012年3月19日

 

                      三寒四温で日ごとに温かくなり、矢坂山の山桜とツツジが楽しみな季節になってきました。

午前中は鯉ヶ池周辺、富山城跡、尾根のツツジを楽しみ、午後は白髭宮で桜の下で焼肉を堪能することを企画しました。奮ってご参加願います。酒を飲まれる方の車はご遠慮ください。

 

日 時 : 平成24414日(土)

ツツジ鑑賞会  9時より

焼肉      12時より

 

場 所 : ツツジ鑑賞会 矢坂本町 鯉ヶ池下駐車場(三本杉より)

            (㈱竹内組作業に支障の無いよう)

      焼肉     北長瀬本町 白髭宮 

 

会費 : ツツジ鑑賞会 無料(飲み物など各自)

     焼肉     1000円(飲む方1500円)

 

申込書

 

ツツジ鑑賞会

焼肉

飲酒

お名前

 

連絡先

 

Tel/Fax

 

参加項目

 

 

 

※参加項目に○、 ないし人数を記入願います。

「市久会」「矢坂山を語る会」

事務局

〒700-0961 岡山市北区北長瀬本町25番14-5号

Fax 086-252-0007  携帯 080-1930-6282

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「講演会」矢坂山の植生

2012年3月17日

本日3月157日(土)10時より12時まで大野コミュニティーハウスで「矢坂山の植生」合して吉備の中山の植生との違いを岡本泰典先生が話して下さいました。岡山は温暖で日照量は多いが雨が少ない地域で、更に矢坂山は花崗岩で覆われ水はけの良い乾燥土壌に適合した赤松、コバノミツバツツジが植生している。山麓や谷筋は落葉広葉樹のアベマキ林が広がりつつある。その木々の下に増えてきている常緑広葉樹への遷移は吉備の中山に比べて遅い。植物の種類は矢坂山は627種で吉備の中山の789種や一般的な山と比べ少なく、乾燥土壌のため少ない。それでもレッドデータに載っている絶滅危惧種9種類が見つかって保護しなくてはならない。コバノカナワラビ、ミズワラビ、キケマン、サクラタデイヌノフグリ、ツメレンゲが確認されている。 赤松林に付随して植生しているミヤマウズラ(ラン科)も日当たりのよい尾根の山道に少し見かける。 富山城跡の北端に「アズキナシ」の大木があり5~6月ごろ白い花をつけ、秋には小豆様の実をつけるため矢坂山の銘木にしても良いのではなかろうか。 赤松にヤドカリするマツグミは昨年松が枯れ矢坂山には見られなくなった。残念なことです。 以上先生のお話を聞き矢坂山はこれから手入れをすれば数少ない赤松林、コバノミツバツツジの群生した里山ができる楽しみがあることがわかりました。

創作雛

2012年3月16日

三門のニシナ スパーの近所の「手まり」と言う喫茶店で創作雛を飾っているとのことで見に行きました。  雛も出し入れがが大変と言うことで最近飾ることが少なくなってきました。3月3日が桃の節句で飾っていましたが、まだ寒く4月に入っての桜の咲くのが待ち遠しいこの時期から飾るのも少しでも華やいで寒さを紛らわすためでしょうか。お雛様は平安時代の紙で折った簡単な雛でしたが、江戸時代に婚礼の儀式などと重なって雅なものとなったようです。  創作雛は一寸雛と言ったところで古布で作ってありました。5段飾りなど形式にはまったものでなく、飾り方によって楽しみが倍増するものだと感動しました。3月3日のお雛様をしたところではすでに片づけた家は多く、4月3日の家はこれからといったところでしょうか。

11年前に我が家で行ったお雛様の写真が残っていたので紹介します。手作り一寸雛ながら、グラス、竹、お椀、擂鉢、お皿、重箱、木靴などなどレイアウトの方法が色々あるものです。

矢坂山清掃活動 新聞に

2012年3月14日

3月14日今朝、山陽新聞に「石井地区 きらりグル-プ 矢坂山を語る会 里山復活させ歴史を伝える」として掲載されました。3月3日に矢坂山本町の定例の清掃活動に取材に来られました。ブログに載せようかと相談したところ今日まで待ってほしいことでした。30名以上参加したのですが、ちらほらで残念。桜、ツツジが満開となってからでは遅いので今の時期の報道は良かったかもしれません。

広島の医用工学見学

2012年3月11日

岡山市立病院が岡山市中心部南より、山陽本線・伯備線で岡山駅より西に一番目の駅の西部拠点副都心として整備がの進めらてきた北長瀬駅の南口に隣接して「岡山市総合医療センター」として、岡山大学の全面支援のもとに救急医療センター機能も持たせ2~3年後のオープンする計画が動き始めました。設計図面はほぼ出来上がり基礎工事より近々着工するとしています。病院の求められているいることは多岐にわたりますが、幼児、高齢者の急容態変化、交通事故、災害などに対応するため診断機器の性能が求められています。当然、それに対応するスタッフの瞬間的判断と技量が求められます。

3月9日(金)に岡山医用工学研究会主催の広島大学医用工学イノベーション拠点と三菱重工業広島製作所を見学会に参加しました。岡山駅西口を7時40分大型バスで出発。10時に広島大学霞キャンバス(医学部、薬学部、病院)に到着。広仁会館で「ひろしま医工連携・先進医療イノベーション拠点」概要説明を受けました。大学主導で進めると研究主体なり成果が得にくいため企業主体として大学がそれを支援する形態を取っている。具体的には広島の自動車産業であるマツダの研究開発について医療分野の支援を行っている。先端技術では細胞治療に特化して再生医療プロゼクトを展開しているとの説明があった。 まず医用工学ではロボット工作マシンとナノ工作マシンを見せていただいたが、まだ具体的テーマが決まっていないようだった。岡山のミクロものづくりが先進しているようです。 細胞治療分野ではマルチフォトン顕微鏡(2種類の光線を当て皮膚表面細胞を観察できる)により治療法開発に役立てようとしている。 最も身近に興味あるのは、自動車分野で自動車シュミレーターと呼ばれる巨大スクリーンの前に置いた乗用車運転し時に運転者の脳波血流を計測するなど医療研究者が参画して成果が得られそうなモデル事例です。また全身にセンサーを配置したスーツを着て動きを研究できるようになってなっています。音響方面の研究では、運転音検出装置や、ハイパーソイニックサウンドと云い人が認知しない20kHz以上の音を居眠り防止の使えないかなど多岐に渡れます。 臨床研究棟では、手術シュミレーターロボットにより画面を見ながらメスを操作することを体験させていただきまさいた。微細な手術するためには相当訓練が必要なことがよくわかりました。手術中の状況を巨大画面に写し意見の交換、遠隔医療、教育実習に使えるよな設備がありました。 昼食は中心部のANAクラウンプラザホテル広島に移動し、ランチバイキングを手当たり選んで食べたのち、ステーキ丼を美味しそうに食べてるのをを見て更に欲張って食べてしましました。 午後は南部の海岸部の広島西空港の近くにある三菱重工株式会社の機械事業部を見学しました。さすが世界的企業、大和を生んだ技術の凄さと巨大さは圧巻でした。それについては後日。 写真 自動車シュミレーター     手術シュミュレーターロボット     昼食バイキング

午前中広島大学の医工学連携施設を見学した後、南の海岸の観音地区に移動し、三菱重工㈱機械事業部の見学に訪問しました。本館の重厚な会議室に案内されビデオにより広島製作所の概要を見せていただきました。昭和19年にこの地で事業を始め、製鉄機械、コンプレサー・タービン、タイヤ製造機、化学機械、搬送重機・システム、航空宇宙部品、医療機器の製造を行い、2000億の製造額に達するとのことです。世界中と取引し納入しています。観音、江波工場は造船所の跡地で、隣の広島西空港が小っちゃく見えるほど68万m2・69万m2と広大でバスで移動案内いただきました。  まづ今回の目的の放射線治療装置の組み立て検査棟を外より見、組み立て中を見学しました。2002年に薬事申請、2009年にGMP認可を受けている。10トンに及ぶ5メートルのリングが多方向に回転して画像診断しながらガン患部に放射線を照射できる装置を仮組立していました。薬物治療に比較して全く痛みがなく、治癒も早いため可なりの割合で治療法として導入率が増えています。陽子放射治療器を兵庫たつの市のOスプリング エイトの近くの粒子線医療センター見させていただいたこともありますが建物が必要なのに対して、放射線発生器が装置内に組み込めるのを特徴としているようです。軽装機器配線は組み立て工場で取りつくテスト後、分解して納入する段取りです。 次の圧巻は製鉄機械で圧延鋼板用機械は世界の大部分のセアーを握っています。20トン電気炉により鋳造した鉄の塊を削って部品を作ってゆきます。工作機械も当然巨大なもので自社製造です。 コンプレーサー、タービンは化学プラントにはなくてはならないもので、高速で回すため、羽根を削り出すのはもちろん偏心がが無くバランスを取るのにノウハウがありそうです。地球温暖化防止のため炭酸ガス地中埋め込みは急務ですが、それ用の圧縮機の製造も行っている。タイヤ製造器は巨大運搬機用に特注タイヤ製造用です。 益々、注文機械が大型化するため新規巨大な組み立て工場が稼働していた。  巨大戦艦「大和」などの技術の蓄積によるもので頼もしい限りです。 岡山市総合医療センターが数年後には北長瀬に出来ることが決まったが、世界的医療センターを目指すにしても地域に根差した高度の技術を発揮蓄積してゆくため平安時代からの地域の名前「市久総合医療センター」と名付けてほしいと希望するところであります。 写真は撮影禁止でした。パンフレットよりです。