4月 2017 のアーカイブ

納豆のこと、岸一太のこと

2017年4月28日

矢坂山のツツジ祭りに続き、市久会のあきちゃんさんが主催される講演会があった。
納豆から抽出される酵素、ナットウキナーゼを発見命名された、倉敷芸術科学大学、須見洋行教授の「納豆と焼酎のちょっと良い話」。
納豆は身体にいいとは聞いているが、どのようにいいのかお聞きした。
昔、私たち関西以西に住む者は、進んで食べる食品ではなかった。身体にいいということで、今日では、ほとんどの人が食べるようになった食品と思っている。
納豆に含まれるナットウキナーゼは血栓を溶かすきわめて高い酵素である。臨床で行われるt-PA治療にも匹敵する力をもっている。ネバリにはメナキノン-7が多く、これは骨の維持に必要なものである。腸内の改善に最適である。強い抗菌作用も持つ。
このようにいいものを沢山持つ納豆を食べ続ければ長寿に効果があるというお話であった。なによりも安価である。
アジアには納豆トライアングルがあり、それに囲まれた中には納豆に似た食品が存在する。その一点が日本の納豆、インドネシアのテンベイ、ネパールのキネマ、これを結ぶ三角形がトライアングルとのこと。唱えたのは中尾佐助大阪府立大教授という。教授の専門の照葉樹林帯にも重なるという。中尾教授のことは私たちはマナスル登頂の一員として知っている。
血栓溶解の効果を高める焼酎。
度を過ぎないように飲めば、血管内に臨床で用いられるt-PA剤が出来ると話された。
納豆は良く煉ってネバネバを出して食べた方かよいのかとの質問が出た。どちらでもよいとの答えであった。
次はあきちやんさんの「日本初の飛行機を作った医師岸一太」のお話。
岸一太は明治の初め大野村北長瀬で生まれ。第三高等学校医学部を卒業、ドイツ留学後、台湾、大連で医者として活躍。その後、国産の飛行機の開発に心血をそそぐ、数機の複葉機を製作したのち破たん、関東大震災に遭い、道路の建設計画等にも携わり、67歳で死去している。
懇切丁寧な資料を頂きお話をお聞きする。
第三高等学校医学部が初期岡山にあったということも知らなかった、岡山医学専門学校、岡山大学医学部の前身である。ドイツ留学時、漱石、滝廉太郎、野口英世なども留学生であったという。ドクトルメディチーネの学位を得ている。この学位を鷗外や斎藤茂吉が得ていたかどうか私は知らないが、茂吉の岳父は同学位を得ていたことを、孫の北杜夫は小説「楡家の人々」に書いている。台湾、満州の時代は後藤新平のかの地での活躍の時代とかさなるとのこと。
また夫人は双日、神戸製鋼などの元締めであった鈴木商店の娘というが、ドイツ留学時代からの女性もおり艶聞には事欠かなかった人物であるともお聞きした。
東京で耳鼻咽喉科を開業するが、飛行機への夢があり、休業。
赤羽に工場を作り制作、開始。エンジンの部品、発動機も自作した。このため上質のモリブデンを得るため、富山の小黒部に鉱山まで所有する。
大正4年に1号機つるぎ1号が完成。飛行にも成功する。が、すべて自作にこだわりすぎたためか、つるぎ第6号あたりで困難を極める。しかし彼はアルミニュームの研究所も設けるが、破たん。
間なしに関東大震災に遭う。昭和12年他界。
YS11の初飛行の50年前に、志の高い人がいたのである。という郷土の偉人のお話であった。
どちらもおもしろくお聞きした。
あきちゃんさんありがとうございました。

野崎のさんありがとう。