1月 2010 のアーカイブ

大黒柱

2010年1月31日

大黒柱
 大黒柱は細身のケヤキ17cm角ですが、長年の重みで2cm沈み、3cm傾き、1cm程しなっていました。千屋の方で36cm角の大黒柱を見たことがあるそうです。4個のジャッキにより持ち上げ、礎石の間に2cm厚の土台パッキンを敷き、傾きを修正しました。
 43cm径、回り130cm、長さ5.5m、根元が50cm弱、周り147cmの梁など屋根構造を200年近く支えてきた歴史と重みに感激しました。このような大きな梁を見たことはないそうです。今回の改築で他に柱を入れ加重を分散しますが、今後とも負担を負ってゆく
ことでしょう。
 なお下記のようにケヤキは反る特性があり、建物の重みのみではないようです。
 

 ケヤキ 木目が美しく、磨くと著しい光沢を生じる。堅くて摩耗に強いので、家具・建具等の指物に使われる。日本家屋の建築用材としても古くから多用され、神社仏閣などにも用いられた。現在は高価となり、なかなか庶民の住宅には使えなくなっている。

 伐採してから、乾燥し枯れるまでの間、右に左にと、大きく反っていくので、何年も寝かせないと使えない。特に大黒柱に大木を使った場合、家を動かすほど反る事があるので大工泣かせの木材である。また、中心部の赤身と言われる堅い部分が主に使われ、周囲の白い部分は捨てられるので、よほど太い原木でないと立派な柱は取れない。

初夢プラン 大伴遊歩道

2010年1月31日

初夢プラン 大伴遊歩道
 大川の痕跡は消滅していたとばかり思っていました。間野さんによると大安寺高校の東側に残っているとのことで、その場所は大川は埋め立てられたにもかかわらず、小学校このころ水辺を通ったあぜ道が残っていました。冬には氷が張り、川と田圃のみの風の吹き付ける道を一人ぼっちで遅れまいと学校へ行っていた頃を思い出します。
 後に分かったことですが、この東は字大伴と記録され、大伴家持は万葉集の歌人で、大化の改新の頃、岡大に南の伊福辺りに条理制をしいたとされる丹比真人と縁戚にあり、吉備に舟で訪れる際、中国の長江の風景と重ねて詩を読んだかもしれない大野ヶ原の情景が思い描かれます。万葉集の草花http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/flower/home.html
 区画整理で6メートル道路で整備するのも効率的ですが、万葉の時代を思い描きその時代の草葉花、水辺植物を植え、せせらぎを楽しむ遊歩道を整備するのも一興ではないでしょうか。水辺の整備の仕方によっては、水の浄化にも役立つでしょう。せせらぎを回復する、もしくはそれを堰、敷石により酸素が供給され死の川より生き物の生息する川に蘇ります。
 住居の角地に樹木を植えることにより素晴らしい住環境になるでしょう。その土地については地区条例により近隣住宅の負担としてはいかがでしょうか。
 

初夢プラン 水辺公園

2010年1月30日

初夢プラン 水辺公園
 北長瀬駅北口を利用する乗降客・地域住民に「ほっとする」空間を初夢で見ました。これをいかにプランイニングするか描いてみました。
 現在山陽本線上りの北側の鴨田弧線橋より胡麻田地下道の間は、鉄道用地(一部私有地)、それに沿って農業用水(能登川用水、市久川)、さらに6メートル幅の舗装農業道路となっています。川は毎年年2回農家組合と町内会により清掃していて、旭川の水を南部に流す用水となっているため町内では比較的きれいです。鉄道護岸は石積みが崩れ、草、木が伸び放題です。鉄道用地のため自由に立ち入りできず放置状態です。矢坂山の特産品だった万成石を護岸に使いたいところですが、矢坂山の自然破壊となっているため近似の輸入石材を使うのも手です。
 川舟を修理し護岸の美化に使用するとともに、水郷集落から発展した市久(現 北長瀬)の歴史を子供たちに伝えて行きたいです。
 笹が瀬川の桜本樋門や字土井の元に桜の大木があったと伝えられていて、矢坂山には桜や野生の三つ葉ツツジが群生しているため、現在の放任樹を植え替え綺麗な並木を整備したいものです。地元はに限らず、庭先で邪魔になった草木、苗木を集め、例えば、計画的配列ののもとに、蝋梅、椿、サザンカ、桜、桃、梅、アジサイ、モミジなど寄送者の管理の下に皆で育てて行くのも楽しみです。
 北長瀬駅付近の水路にネットを張り西側に鯉を放流し、水の浄化と鯉の泳ぐ水辺を演出したいです。富山城跡の下手には城の水の手として「鯉が池」が残っています。
 夢実現も一歩から!

乞食川

2010年1月30日

乞食(谷)川

 

 魚見山の麓にあった元の大野小学校の西を流れる小川が「乞食(谷)川」だと間野さんに聞きました。現在は魚見山川の標識が立っています。岡山平野の古来の河川図に座主川、観音寺、能登川用水と並んで矢坂山を南に向かって流れる乞食川が書かれています。大安寺の庄を潤していた川であろうし、その名前の由来に興味を持っていました。

 下記のように、「僧侶は比丘(びく)というが、これはサンスクリット語の音写訳で、「食を乞う者」という意味である。」との記述で、乞食川でなく、僧侶川、比丘(びく)川でもおかしくありません。笹が瀬川を吉備津に向けて渡る比丘橋があり、多くの言い伝えがあります。さらに、大きな石仏が矢坂山より滑り落ち麓に祀られています。大安寺庄にゆかりもしくはもっと以前に矢坂山に僧侶の暮す大寺があってもおかしくありません。矢坂山の歴史の中で古墳時代後から富山城の平安中期の間が欠落しています。この辺りの観点から矢坂山を散策してみるのも面白いと楽しみにしています。

 安易に魚見山川と呼ぶようになったのも疑問です。古事記川とでもしておけば風流でよかったかもしれません。

 

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

乞食(こつじき)とは、

本来は仏教用語である。比丘(僧侶)が自己の色身(物質的な身体)を維持するために人に乞うこと。行乞(ぎょうこつ)。また托鉢。十二頭陀行(じゅうにずだぎょう)の一つで、これを清浄の正命と定める。もし自ら種々の生業(なりわい)を作(な)して自活することは邪命であると定める。

上記の事項が転じて、僧侶でない者が路上などで物乞いをすることを乞食(こじき)と呼ぶようになった。

 由来

古代インドのバラモン階級では、人の一生を学生期・家長期・林住期・遊行(遍歴)期という、四住期に分けて人生を送った。このうち最後の遊行期は、各所を遍歴して食物を乞い、ひたすら解脱を求める生活を送る期間である。またこの時代には、バラモン階級以外の自由な思想家・修行者たちもこの作法に則り、少欲知足を旨として修行していた。釈迦もまたこれに随い、本来の仏教では修行形態の大きな柱であった。

 

特に釈迦の筆頭弟子であったサーリプッタ(舎利弗)は、五比丘の一人であるアッサジ(阿説示)が乞食で各家を周っている姿を見て、その所作が端正で理に叶っていることに感じ入り、これを契機に改宗して弟子入りしたことは有名な故事である。このように仏教では乞食・行乞することを頭陀行(ずだぎょう)といい、簡素で清貧な修行によって煩悩の損減を図るのが特徴である。

 

また、僧侶は比丘(びく)というが、これはサンスクリット語の音写訳で、「食を乞う者」という意味である。これが後々に中国で仏典を訳した際に乞食(こつじき)、また乞者(こっしゃ)などと翻訳されたことにはじまる。

 

『大乗義章』15に「専行乞食。所為有二。一者為自。省事修道。二者為他。福利済世利人」、『行事鈔』下に「善見云。三乗聖人悉皆乞食」、また「善見云。分衛者乞食也」とあり、『法集経』に「行乞食者。破一切憍慢」、『十二頭陀経』に「食有三種。一受請食。二衆請食。三常乞食。若前二食起諸漏因縁。所以者何。受請食者。若得請便言我有福徳好人。若不請則嫌根彼。或自鄙薄。是食憂法則能遮道。若僧食者。当隋衆法断事擯人料理僧事。心則散乱妨廃行道。有於是悩乱因縁応受乞食法」などとある。

 

 修行僧の乞食

仏教では、修行僧が檀家の家々(近隣に限らない)を訪問したり、寺院の門前や往来の激しい交差点等で直立するなどして施しの米や金銭を受ける行為。行乞(ぎょうこつ)、また托鉢という。これが本来の乞食(こつじき)である。

 

 

 

ESDプロジェクト

2010年1月29日

ESDプロジェクト

 一昨日、岡山市役所の環境保全課に、川舟の修理の助成金について相談に行きました。ESDは「持続可能な開発のための教育」としています。「ESDとは、大量生産・大量消費・大量破棄による環境悪化や貧困の増大などの弊害を招いた開発を反省し、将来にわたって、また地球規模の視点においても、あらゆる人々が自然環境などと共生できる持続可能な社会の達成を目指す座主教育を言います。地域の特性に応じて、環境・社会・経済のバランスのとれた社会を実現するため、環境教育だけでなく、人権・平和・貧困撲滅、健康・男女間の公平、異文化理解などの広い概念を含んでいます。また、主体的に社会に関わる人を育成するため、参加型の学習を重視している。」(岡山ESD推進協議会パンフレットより) 大野学区では、ダルマガエル保護活動が助成を受けています。

 市久会の活動はこの概念に合致し、川舟の修理について教育プログラミングと支援団体を明確にすると助成の対象となりそうです。ただ、5月申請、6月決定で5万円程度になる見通しです。ダルマガエルの保護活動への参画の要望があり、会としてイベントに協力したいと思います。岡西公民館を紹介を受け、「北長瀬物語」などの寄贈、会員募集を張り協力を仰ぐことになりました。後に、ライフジャケットの無料貸出先があるとの連絡を受けました。

 

岡山市区づくり推進事業助成

2010年1月27日

岡山市区づくり推進事業助成
 1月26日に岡山市北区地域振興課に上記申し込み(SkyDive)に3名で行ってきました。1月29日が申し込み期限で当たって砕けろといった感じです。指摘を受けた点は、
 1.4月より9月までにイベントを開くことに助成する。
 2.イベント開催日が4月とずれている。
 3.舟の修理、運搬費など認められない。
 4.申請者10名以上のみでなく、地域の主要活動団体支援が必要。市久会のみでなく10団体以上の応募が必要と言うことか。
 5.申請額が10万円では、前払いは認められない。イベント規模が例えば100万円以上の「区づくり」に貢献するイベントでないと対象とならないということか。
 来年4月桜・つつじが矢坂山に咲くころ、北長瀬駅北口水路に川舟を浮かべイベントを開くよう準備してゆきます。
 北長瀬北口が北区の表玄関になるよう地域性を確認し、将来に向けて如何なる素材があるか再度確認します。
 
 
 

朱塗り

2010年1月23日

朱塗り
 昔の家は木材の防腐の目的で、弁柄rを塗っていたようで、柱などにその跡が見られます。特に、西側の上便所と座敷の間の風雨の当たらない板張りに見られます。内部の柱は、菜種油で磨き上げているため黒光するのみです。神社・仏閣のように鉛丹とか水銀を混ぜてはいないと思いますが。江戸の後期に建てたころは、どんな概観だったか興味がわきます。
 大工さんによると弁柄に墨を混ぜて今でも塗るところがあるそうです。古民家再生で倉敷の町並みを朱色の外壁にしようと提案したところ大反対に合ったとどこかに書いてありました。