6月 2012 のアーカイブ

矢坂の座主川サイフォン

2012年6月28日

矢坂のサイフォンについて御南の電子町内会に久米の佐藤さんが詳しく書いておられる。部分的に引用すると「現在笹ケ瀬川は、万成の外れ(西坂)で、対岸へサイフォンで渡っているものと、矢坂の分木でサイフォンで対岸に渡り、更に、みのるゴルフガーデンの北側を対岸に渡るサイフォンがある。この2つのサイフォンも、出来上がった時期は、異なるのだろうか。前者は、大野村史(1956年)に載り、後者は、同誌によると、笹ケ瀬川に流れ込むとある。しかし現状は、矢坂にもサイフォンがある。但し、矢坂の分木は、3っあり、野殿方面への取水口 サイフォンへのもの 笹ケ瀬川への放水路であり、サイフォンに触れていないだけの可能性が高い。サイフォンは、2007年ごろ改修されているがその前のものもコンクリート製であったとの事で、最初のものは、木製であったように聞いた。それらから考えると3っのサイフォンは略々同時期に作られたのではあるまいか。」

その場所が特定できませんでした。矢坂大橋の下に大きな水門に「村前樋門」のプレートがありその手前に一見笹が瀬川に抜けてない水門がありました。よく見ると「馬屋郷水路」の表示がありました。対岸のデオデオの前に樋門があり南に向けてのみ水が流れていました。これが旭川から取水した座主川用水を笹が瀬川の下をサイフォンで潜らせ南部の灌漑用水として使われています。サイフォン自体アルキメデスの原理で紀元前からありローマ帝国の土木事業に使われてきました。江戸に入って多く使われるようになりました。  防災上の治水対策も江戸に入って行われたものが多いようです。

川舟陸へ

2012年6月28日

数年前川舟をもらってきてグラスファイバーライニング修理して一時進水しました。しかし、水漏れ箇所があり別の川舟に子供たちを乗せていました。今回水位が上がって堰を越せたため修理のため陸に上げました。リフトを使わず1トンのウインチのみで上げるのに苦労しました。途中でウインチのチェーンがからまったこともあり述べ2日程度かかりました。昔は廃船とするときは、川辺に沈めて漁礁に使ったり、菖蒲を植えたりしていたそうですが今は場所がありません。1年位かけて修理したいと考えています。

粟井温泉

2012年6月24日

先日東京より来られた方が、粟井温泉に泊まり、肌はすべすべにになり、食事は美味しかったと喜んでおられました。関東には箱根始め温泉の名所は数限りあるのに褒めるにはそれなりに根拠があるか行って見ることにしました。

北長瀬の自宅より4人乗って足守を目指し、大井のトンネルを抜けて右に小道を入って直ぐした。40分ほどで「あしもり荘」つきました。ホタルの里として足守川沿いに夜間には大勢の人が集まるシーズンです。  男女に分かれまず風呂へ。5人分洗い場があり黒御影石の適度の大きさでした。泉質は適度に肌がつるつるする良いものでした。外の景色も庭を通して田んぼが見えのどかな風情でした。貸切状態で他のお客は居ませんでした。「村のしおり 寛政元年4月、昔4尺四方の湯坪の形をした堀があり、周りに稲を植えると良く実り不思議に思っていたところ、天明6年5月に阿某と云うものが来て、古きの温泉を思い出し湧出ならんと3尺掘ったところ、香りあり温なり、腫物金憧病痛が癒され近隣の村人が多く来るようになった。美作丹波の温泉より優れるとさらに堀り、小屋を建てた。うんぬん」とある。

2階に休憩室もあり、1階で昼食となりました。数組の客が順次食べては帰られました。予約していた「あしもり六菜」1300円が基本コースです。中々洒落た上品な味で美味しかったです。  水無月のお品書き :*前菜 梅寒天、切り干し胡麻和え、豚トロ炭火焼、山クラゲの金平、スモークサーモン、かぼちゃのラム酒煮、茄子の煮侵し、白身魚の南蛮、漬物・メロン漬け *蒸し物 空也蒸し *冷物 季節の野菜サラダ *焼物 豆腐ハンバーグ・みぞれあい *ご飯 粟井産 あきたこまち *吸い物 手毬腑とろろ昆布

のんびりした半日を過ごしました。ちなみに宿泊は15000円だそうです。

玉松会会報

2012年6月8日

玉松会の会報の一回目が発行されました。

4月8日においで下されたのち、松田会長様より女優の千草薫さんが墓参りに来られるとの連絡が入り、後日写真を送ってくだしました。松田公男さんの娘さんは西川きよしさんの次男弘志さんに嫁いでいるそうで美人の家系のようです。

恩師の思い出 2 「京」

2012年6月4日

NHKで神戸の「京スパーコンピュター」がドキュメントで報道されました。先日見学でビデオを見たさい計画委員会の一番前に座っているS先生を見かけました。

田舎の百姓の息子が何もわからない東京に出て、4年次の時、T大学生産技術研究所のK研究室の研究室に派遣されました。光触媒の総説を読み、P,N半導体によって吸脱着の原理に疑問をもっていました。S先生は、ドイツ、イタリアの留学から帰れらたばかりでした。特許は数百持っていて、まもなくダンボールギニが送られてくると自慢されえいました。カラーフィルム、カラーコピーが研究されていたころです。留学先で研究されていた装置の組み立てから始まりました。実験結果が出て早速NHK総合技術研究所で発表となりました。ここで電子写真学会を行ったのは、今は無くなったH先生がそこの所員だったことによるようです。後にFさん(世界的研究者、当時修士)と共にノーベル賞候補となりました。研究室のカギを渡され自由に没頭できました。当時いとこが総務省の統計官研修に上京している話を聞きました。後に、多変量統計解析でO大学の教授となり日本計算器学会の会長を務めました。コンピュターでなく古めかしい名前なのでしょう。  

S先生とは帰岡のさいTO大学の光工学学科でお会いしまた。この学科の設立準備に忙しく小生の指導どころではなかったでしょう。この当時「既に数千人に教えたと云われたので1番弟子であったかもしれません。  年賀状を出す程度でしたが、S先生はNHKの地球紀行の監修で目にし、21面相モンタージュ写真、飛鳥古墳、北朝鮮ミサイル発射基地衛星写真で名前を見るようになりました。画像工学と云われていた通りです。その後、衛星を使った情報技術で確立されました。岡山にピラミッドの分布について講演に来られたさいお会いし、小生と親しく話していただき皆びっくりしていました。その帰り「ナサ宇宙センター」へ行くと云われ、後に地球測量立体画像の成果が報道されました。

如何に優れたコンピューターができても入力する計算式とファクターは今のところ人間でしかありません。間違って入力は勿論、今回の東北震災、福島原発事故の予測ができなかったことは、人が目を塞ぎ、特に政治家が政治主導の名のもとに結果の公表を押さえた面があるのではないでしょうか。  王道を進むS先生の駒にもなりえませんでした。

矢坂山定期清掃活動

2012年6月3日

3、6、9、12月の第1週の土曜日に行っている矢坂山の鯉が池、富山城跡付近の清掃活動を昨日しました。この日は若干曇り空で余り暑くもなく活動に最適な日となりました。ウグイスがあちこちで鳴き自然を満喫できました。 前の日にまむしが出たとかが話題となりました。この季節になると子供をやどし生むために牙を抜くために人や木にかぶりつきます。しばらく雨が無いため水を求めて路上にも現れます。

予定通り9時より、鯉が池下の駐車場より登山道を草刈り機で刈りながら上がり鯉が池広場を刈り、9時半頃には休憩して談笑しました。S君が今年も笹が瀬川から鯉を持ってあがり放流したそうです。1mからある鯉を押し車に乗せてあげるのは大変なことです。泳いでいるのを直ぐ見つけるのですがさっぱり分かりません。錦鯉を放流する必要がありそうです。大きいため狐、たぬき、ハヤブサも太刀打ちできないでしょう。ところが野犬が3匹ほど住みつき狐、タヌキを見かけなくなったそうです。料理をするかしないかがが話題となり、毎朝奥さんのために料理をすると自慢する人もあれば昔ながら一切しなくカップラーメンの作り方もわからないと云う人もいました。わたしは小学生の頃母が入院していたためご飯の炊き方とみそ汁の作り方を教わり、それで毎日過ごしていた記憶があります。

10時ごろより、、富山城跡の草刈りに入りました。一部どなたか刈ってくれた人がいると話題となりました。いつも清掃活動をしてくださっている西崎のYさんを最近見かけなくなり気になるところです。帰った後で、前日中学の同窓生のS君が仕事の都合で来れないので前日の17時ごろ富山城跡の二の丸付近を刈ってくださたとのメールを見ました。ありがとう。感謝感激です。

昼前には草刈りが終わり評定岩で昼食を食べました。 午後より西消防署よりもらってきて置いた3枚の「山火事予防」の看板を富山城跡二丸跡、魚見山、鯉が池に取り付けました。魚見山の一部が山火事となりました。幸いすでに木々で覆われていました。土砂崩れに繋がりかねないため皆で気を付けるより仕方ないのです。その途中で木々に大きな毛虫が発生していてアース等で撃退しました。ところが家でサザンカ、椿に発生時期で初期だと面白いように落ちるのですが、大きいため中々落ちません。自然の摂理で鳥に食べてもらうより仕方ないかもしれません。 終わりかけたレンゲツツジを見かけました。コバノミツバツツのように群生しているところは少なく、しかも1~2mとなるそうですが、草のように生えているのがほとんどです。11月ごろ種をとり群生地を作るのも楽しみです。