巨大大根

投稿日 2017年1月26日 by tsuboigenzaemon
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岡山県生物化学研究所が発見した光合成促進物質グルタチオン(L-γ-glutamyl-L-cysteinyl-glycine)を肥料としてカネカが販売しているのを高梁のJAより6月頃購入し各種自作作物に使用した。光合成における炭素固定の仕組みである「カルビン回路」で働く特定の酵素の働きが、グルタチオンによって促進される。グルタチオンGSSGは、グリシン、システイン、グルタミン酸からなるトリペプチド(還元型グルタチオン:GSH)の2量体。
カネカ ペプチドでは窒素成分の原料として配合されている。
GSSGやGSHは植物には勿論のこと、あらゆる生物の細胞に含まれており、安心、安全な素材。

グルタチオンの働きはたくさんあるが、抗酸化に大きな役割を果たしている。
・生体恒常性の維持
• 細胞内還元剤
• 過酸化水素の還元(無毒化)
• 酸化型アスコルビン酸の還元
• 薬物・異物の解毒作用
グルタチオンには以下のような効果が期待されている。
• 老化防止
• アルコール性脂肪肝予防
• 肝機能障害予防
• 放射線障害予防
• 白内障進行防止 など
• 酵素の補酵素
グルタチオンは日本薬局方に収載された医薬品であり、また健康や美容の維持に有用であるとして、サプリメントとして販売されている。しかし、消費者として注意すべきことは、日本では医薬品扱いであるため、日本の事業者がサプリメントとして販売できないことと、その販売行為は薬機法(旧称、薬事法)違反になることである。アメリカではサプリメントとして販売されている。
結果はトウモロコシで穀粒が大きくなった。
サツマイモなどは余り大きくなっても困るので堆肥の施用も控えた。
明らかに効果が認められたのは大根であった。
50cmほどの大根が次々と収穫され、径も大きいため「おでん」に最適だった。大根が大きくなると素が入るが全くそれは見られなかった。味も格別美味しかった。
大きく切って切干大根としても乾燥した。
農林大臣賞をもらったことある小学同窓生に聞くとそれに値すると。
循環型社会で太陽エネルギーを利用して、石炭、オイルに頼らない生物資源による社会が渇望されてる。ノーベル賞的発見だ。
写真 長さ70cm、径15cmの大根
乾燥

池田綱政と後楽園

投稿日 2016年12月13日 by tsuboigenzaemon
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「https://youtu.be/HkSeJR9uaZI

 

[池田綱政と後楽園講師] 杉 嘉夫 氏 平成28年12月9日

歴研サロン 岡山歴史研究会

⓵綱政と後楽園の年表

②綱政の人物評価

③造園の目的・三説

④公家文化への憧れと流店

⑤観音信仰と慈眼堂

⑥防御構想と芝生・御舟入

⑦景観を見る目を持とう

妙丹甘柿(花御所柿)

投稿日 2016年12月9日 by tsuboigenzaemon
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妙丹甘柿(花御所柿

我が家には東北の角に「みょうたん」と呼ばれる古木がある。祖母に霜が降り出すころ満月ならないと甘くならないと云われていた。
富有柿は秋祭りの頃、取って食べると多少渋みがるがあるが甘みを感じるようになってくる。しかし、この柿は渋くってとても食べられたものではない。
今年も満月が特に大きかったスーパームーンの頃より甘くなった。柿に種が1,2ケしか無いのも特徴だ。
重さ220g、大きさは8,5cmφ、6.5cmHで富有柿より若干おおきい。
甘みも糖度19%あり、上品な甘味だ。果肉は固からず適度だ。
残念なのは外見が悪いのがあるが味には変わりない。
台木の西条は幹経40cmに達し、継いだ当たりの径は30cmに達すしている。
全国的に妙丹を探すといわれぬほどすぐれている、目ずらい柿に其の名前が見られる。とくに有名なのは青森の干し柿だ。当然渋柿だ。
そこで、甘柿を探すと鳥取県の花御所柿が近いことが分かった。その説明によると、
花御所柿は天明年間(1781-1789年)に、郡家町「花」の農民・野田五郎助という人が現在の奈良県から「御所柿」の枝を持ち帰って、渋柿に接木したのが始まりといわれています。当時は「五郎助柿」とよばれていたようですが、「花」というところで作っている「御所柿」ということで「花御所柿」と呼ばれるようになったとの事です。
花御所柿は大きさは富有柿と同じ位で、果頂部がやや盛り上がった形をしていて、縦に半分に切ると丸みのあるハート型になります。上下に半分に切った断面は丸みを帯びた四角い形をしています。
果皮の色は赤みを帯びた橙色で艶がありますが、果実の表面にシミ状の斑点が出やすく、またヘタスキも発生しやすい品種です。
肉質はとても緻密で果汁が多く、糖度が20度以上でとても甘い品種です。ただし、渋味が抜けるのが遅く、11月になって霜がおりる頃、葉が落ちはじめ、実が赤くなって完熟し、そうしてようやく渋が抜けて甘くなります。その味は甘柿の中では最高とも言われ、とろけるような味は一度食べたら忘れられません。また、ほんのりと渋みが口に残るのも特徴のひとつです。種は1個から3個程入っています。
花御所柿は、鳥取県の東部、因幡地方八頭町にのみ栽培され、しかもその9割が「郡家町」というところで栽培されています。 しかも不思議な事にこの「花御所柿」は、「郡家町」の中でもごく一部の限られたところでしか品質の良いものがとれないそうです

お伊勢まいり2016

投稿日 2016年11月27日 by tsuboigenzaemon
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平成28年11月19・20日に北長瀬本町農家組合が久しぶりに伊勢神宮参拝と英虜湾クルーズの旅に出かけた。紅葉のシ-ズンで車窓の景色も最高で、バスガイドの心地よい案内に揺られて、伊勢神宮で昼食後、内宮参拝とおかげ横丁・おはらい町など散策した。賢島のサッミットの行われた宝生苑に泊り温泉に入浴、宴会も盛り上がった。
賢島湾の英虜クルーズを楽しみ、二見ケ浦の夫婦岩を見物し、帰路信楽でタヌキの焼き物を見た。

井原探訪

投稿日 2016年11月17日 by tsuboigenzaemon
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瀬戸内市の熊山の会の案内で井原方面を探訪した。

総社で 江崎古墳 石棺を見学〔井原の波形石を使った石棺〕
井原 まほろば館 見学 
興譲館 校門  [中国の大学と云う本の中に「一家譲に興れば一国譲に興る」とある。 「譲」とは「譲る」気持ち。
高越城跡(お昼弁当)。北条早雲(伊勢新九郎盛時)の城。
途中 マリア観音像黒木の高札場 金魚岩 
浪形石(子安観音)ここの石が石棺に
千手院 (巨大千手観音様) 浪形石群
明治池ほとりで巨岩「天狗岩」⇒道祖渓を歩いて見学
永祥寺
諏訪神社の石鳥居(那須与一の弟小太郎宗晴の末裔が建立)
 讃岐松田の会長夫妻が同行した。
小田原北条時代松田氏筆頭家老として活躍する
 明応4年(1495)北条早雲が大森氏を破り小田原城に入った時、一番早く駆けつけたのが松田氏一族だった。
 そして小田原北条5代約95年間、松田氏は北条の家老として任え、特に北条氏康の時代、松田憲秀は筆頭家老として権力を握っていた。
 永禄2年(1559)の「小田原所領役帳」では松田憲秀は現在の南足柄市を中心に、旱雲の息子幻庵に次ぎ土地を所領していた。尚、松田惣領分は遠山直景(江戸城代)、松田庶子分は北条幻庵、庶子西分(松田城付近か)は憲秀の弟で松田城主の松田康隆が所領していた。
 この時の松田氏の本拠地は松田憲秀の所領していた狩野との説がある。
 北条は豊臣秀吉に破れるが、北条氏直は助命され高野山へ追放されるが、松田憲秀の子直秀は、北条家臣30人の筆頭として雑兵300人とともに氏直に従った。氏直死後関白秀次に任えたが、秀次も亡くなりその後加賀の前田家に任え御普請奉行までになったとのことです。
写真 高越城跡
   浪形石(子安観音)
   千手院 (巨大千手観音様)dsc_0257

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美し国三重・津歴研大会

投稿日 2016年11月14日 by tsuboigenzaemon
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https://www.youtube.com/watch?v=nODVdouWXNM
第一日目 式典・
記念講演・倭姫命の伊勢巡幸 皇學館大学文学部教授 岡田 登
伊勢商人のルーツを探る -三井高利と越後屋商法- 門 暉代司
祝宴
第二日目 見学会①伊勢別街道を巡る=津城跡・関宿・高田本山専修寺・県総合博物館など
第三日目 見学会②伊勢街道を巡る=宝塚古墳・松阪市文化財センター・松坂城・伊勢商人の町など
安濃津城は坂崎出羽守すなわち浮田詮家の妹が嫁いだ富田信高の城として知られている。この会で知り合た「歴史研究家 川口素生」の記事によると
『関ヶ原合戦当時の女武者 富田信高の正室
慶長五年(一六〇〇)九月十五日、美濃関ヶ原(岐阜県関ヶ原町)で徳川家康率いる徳川方と、石田三成、宇喜多秀家らの豊臣方とが激突する関ヶ原合戦が繰り広げられました。さて、この関ヶ原合戦の前哨戦ともいうべき伊勢安濃津城(津城/三重県津市) の攻防戦や、豊臣方の敗北が確定した後の残党狩りの段階では女武者が活躍しています。
まず、八月二十三日頃からの安濃津城攻防織では、城主・富田信高に討死の危機が迫った際、甲冑を着込み、槍を手にした正室が駆けつけて夫の窮地を救いました。
前後しましたが、籠城していた徳川方は信高、客將・分部光嘉ら千七百人であったのに対して、攻め寄せた豊臣方は毛利秀元ら三万人という大軍でした。それでも、信高さは機を捉えて出撃し、敵方に打撃を与えていましたが、城への退路を塞がれます。
湯浅常山(備前岡山城士)の『常山紀談』によると、その絶体絶命の場面で、城中から、 「容顔美しさ武者緋威の物具中二段黒革にて威したるを著、鑓を提げて駆けつけ、「富田が矢面に立ちふさがり支え戦」い、中川清左衛門ら敵兵五、六人を倒したので、信高や光嘉は窮地を脱しました。ただし、宮川尚古(忍斎/軍学者)の『関原軍記大成』には容顔美しき武者でなく、人見伊右衛門(古田重聘の家臣)が清左衛門を討ち取ったと記されています。その容顔美しき武者は紅色か、緋色の革(もしくは紐)で威した(=結び合わせた)鏝を着込んでいたようです。ところで、光嘉の譚(実名)を政寿とする説(『集成分部家系譜』等)もあり、真田増誉(軍学者)の『明良洪範』には、「信高、政寿に問ふ、『彼若武者は貴兄の近習の者か』。政寿云、『彼は女武者と見へたり』信高、馳寄て見るに夫人也。大に驚く。夫人涙を流し、『君既に戦死し給ふと聞、妾も共に死を同じくせんと思ひしに、不゛計今幸に御つゝが無きを見奉る嬉しさよ』と悦ぶ事限りなし」 と記されています。
ところで、正室の活躍で危機を脱した信高らでしたが、兵力の差は如何ともしがたく、やむなく高僧木食応其の勧告を容れて二十六日に安濃津城を開城します。幸いにも、信高は剃髪して高野山へ登ることで助命されました。やがて、関ヶ原合戦で徳川方が大勝したことから、信高と正室は安濃津城へ復帰することが出来、のちに信高は伊予宇和島藩(愛媛県宇和島市)主に栄転しています。なお、名前は伝えられていないようですが、正室は備前(岡山県南東部)生まれで、宇喜多忠家(安心/秀家の叔父)の娘でした。』
写真
一身田高田山専修寺
古墳出土埴輪
斎王

給率100%を目指す 西粟倉村

投稿日 2016年11月10日 by tsuboigenzaemon
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 岡山県の東北部に位置する西粟倉村は、中国地方で唯一の「環境モデル都市(持続可能な低炭素社会の実現に向け高い目標を掲げて先駆的な取組にチャレンジする都市)」です。
村は森林面積が95%、そのうち84%が人工林という環境にあり、約50年間育った人工林をあと50年管理、立派な100年の森にしようと「100年の森林構想」を掲げ、村ぐるみで取り組んでいます。
その中から出てきた木材を商品化し、流通ルートを確保したり間伐材を燃料とした薪ボイラーの導入を進めるなどし
ています。また、豊かな水資源を使った小水力発電所も設置し、発電をしています。さらに近い将来には村の中心部で「地域熱供給システム」も導入する予定です。
このようにして、村はエネルギーを自給し、美しい森林を守り、限りある自然の恵みを大切な人だちと分かち合える上質な田舎づくりを目指しています。西粟倉村の取り組みを見学し、私たちの周りで取り組めることを一緒に考えていきましょう。

8時    :岡西公民館出発
10時30分 :西粟倉村 到着 あわくら会館にて村の取り組みレクチャー
11時40分 :昼食のため「あわくらんど」へ
11時50分~12時50分:昼食
13時~13時15分:薪割り工場
13時25分~13時45分:黄金泉薪ボイラー
13時50分~].4時:にしあわくらおひさま発電所(コンベンションホール)
14時05分~14時25分:小水力発電Fめぐみ」
14時30分~14時55分:エーゼロ(株)(旧森の学校ホールディングス)鰻養殖
~LV(ジビエ・帽子・酒など)
15時~15時20分:あわくらんどで買い物、トイレ休憩
17時45分:岡西公民館到着

岡西公民館ツアーパンフレットより