「矢坂山を語る会」の発起
平成22年8月29日
矢坂山(大野山、野殿山、魚見山)は、大野学区、三門学区において古くより愛着をもたれている山です。山裾の町内会、特に矢坂本町、東町が熱心に山の美化活動をしています。さらに、有志の方が草刈、清掃を毎日のようにされています。
日本城郭全集によると次のように書いてあります。
「矢坂山に城が築かれたのは、崇神天皇の十年(前88)、四道将軍の一人としてこの地方に派遣された吉備津彦命が、この山に陣を置いた時に始まると伝えられています。
時代が下がって、平安時代中期885年に富山重興氏により矢坂山山頂に富山城が築城され、1342年に松田元喬氏、1568年に宇喜田直家氏により本格的な山城となり、さらにその弟忠家により野殿山城・大野山城・魚見山城も整備され矢坂山全山が巨大な城郭となってゆきました。しかし、1615年に一国一城令により小早川秀明氏により解体されました。」
信憑性はともかくとして矢坂山が記録(神話)上初めて登場します。当時は吉備の穴海の岩井島であり、後の万葉集にも島として歌われています。ただ地元の言い伝えとして矢坂山頂にある巨大な石を評定岩と呼び、吉備津彦命が「ウラ」を成敗する計画を練った場所とされ、ウラに向かって矢を射たことより矢坂山と命名したと伝えられています。
大野小学校旧校舎が魚見山の麓にあったころは、月遅れの雛祭の4月3日には魚見山に登り岡山市街の眺望を楽しみながら弁当を食べ、尾根伝いに桜・ツツジを見て富山城跡まで行きました。この催しは、当時「山上がり」と云い各部落をあげての楽しみでした。もう一度、往時の催しを復活し、皆で旧跡を歩きませんか。
特に、2012年の再来年は上記の記述より2100年目にあたり「矢坂山開城2100年祭」をしてはと考える次第です。
現状は雑木林となり桜、ツツジの成長を阻害しているばかりでなくそれらの美しさも半減する景観となっています。枯れた松、競合する樹木、竹林を切ることにより美しい山となると共に、炭酸ガス吸収効果も増大し地球温暖化防止にも役立つと考えられます。さらに、切った樹木・竹を炭焼きやシイタケ栽培に利用すると資源の活用にもなります。さらに、桜、モミジ、ツツジの植えを行うことにより楽しい山が再生可能に思われます。
もちろん山の多くの地権者の理解が重要ですが、地域住民が矢坂山にどのような夢を持ち協力実行するかにかかっています。
とりあえず、矢坂山を歴史を語り、再生するための夢を語る会を発足したいと思いますのでご賛同下さい。