NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」第36回「九州出陣」が放送された。
戦国時代、九州は世界へ聞かれた窓であった。そんな南蛮の富で栄え、九州各地に版図を広げたのが、豊後のキリシタン大名・大友宗麟だ。薩摩の島津である。島津は、九州全土を飲み込む勢いで豊前、豊後に迫った。天正14(1586)年4月宗麟は、関白・秀吉にすがった。
秀吉の名代として、官兵衛が中国の毛利勢とともに肥前に入る事にした。
よき友人でもあった蜂須賀小六がこの世を去った。
徳川家の結束はむしろ強まったと見て、44歳の妹の朝日を家康に嫁がせた。それでも家康は上洛しようとはしなかった。
元春は病を得て、隠居を理由に出陣は無理だという。
そんな中、九州への出陣が7月25日と決まった。
実の母も徳川の人質に差し出た。
官兵衛は「天下のために、その命、使っていただきたい」の言葉に、元春は思わず笑いだした。同年10月3日、官兵衛と毛利軍は、ようやく九州へ渡った。
家康が秀吉に拝謁するため、ついに大坂を訪れていた。
島津車と激突。宇留津城を攻め落としたその勢いを見て、敵は続々と寝返り始めた。
11月15日に吉川元春が、とうとう死の床に着いた。「隆景……毛利を頼んだぞ……」と
吉川元春は、眠るように息を引き取った。
このころ起きた事件
10年(1582年) 1月28日 – 天正遣欧少年使節の4人が長崎を出発
3月11日 – 甲州征伐、武田家滅亡
4月3日 – 織田信忠が恵林寺を焼き討ちし、快川紹喜ら死去
4月27日 – 羽柴秀吉、備中高松城付近で清水宗治の兵と交戦(備中高松城の戦い)。
6月2日 – 本能寺の変が起こる
6月13日 – 山崎の戦いが起こる
6月27日 – 清洲会議が行われ、織田秀信を後継者に決定する
9月23日 – 山田重直、羽衣石城を攻略。それと同時に小鴨元清の籠る岩倉城も落城する
10月15日 – 大徳寺で織田信長の葬儀が行われる
11年(1583年) 3月29日 – 東大寺の不開門が暴風のため倒壊
4月21日 – 賤ヶ岳の戦いが起こる
5月2日 – 織田信孝が自刃
12年(1584年) 3月24日 – 龍造寺隆信が島原で島津家久などとの戦いの末、敗死(沖田畷の戦い)
4月9日 – 小牧・長久手の戦いが起こる
6月28日 – スペイン船が平戸に初来航
13年(1585年) 3月8日 – 豊臣秀吉が大徳寺で大茶会を開く
7月11日 – 豊臣秀吉、関白となる
11月29日 – 北陸・畿内で大地震(天正地震)、越中国木舟城の崩壊で城主の前田秀継が死去、帰雲山崩壊で帰雲城埋没
14年(1586年) 6月24日 – 木曾川が大洪水
7月27日 – 島津軍が大友氏の岩屋城を攻略し、高橋紹運が自害(岩屋城の戦い)
10月4日 – 毛利輝元が小倉城を攻略
11月7日 – 正親町天皇が譲位し、後陽成天皇が践祚
11月25日 – 後陽成天皇の即位礼が行われる
没
10年 小早川秀秋、戦国大名(+ 慶長7年)
月日不明 – 水野忠清、江戸初期の大名(+ 正保4年)
11年 – 林羅山、江戸初期の儒学者、道春とも(+ 明暦3年)
月日不明 – 蒲生秀行、戦国期の武将、蒲生氏郷の子(+ 慶長17年)
12年 3月4日 – 脇坂安元、江戸初期の大名(+ 承応2年)
月日不明 – 松平定行、江戸初期の大名、伊予国松山藩初代藩主(+ 寛文8年)
月日不明 – 宮本武蔵、剣豪、兵法者、書画家
13年 – 松平定吉、戦国期の武将(+ 慶長8年)
月日不明 – 福島正之、戦国期の武将、福島正則の養嗣子(+ 慶長13年)
14年 – 本多忠純、下野国榎本藩初代藩主(+ 寛永8年)
– 板倉重宗、江戸初期の譜代大名、京都所司代(+ 明暦2年)