福田地区 妹能兼康屋敷跡


https://youtu.be/PnIVbCsOD7g

妹尾太郎兼康は、一説では南区妹尾の地名の由来になったと言われている人物です。兼康公の母は瀬尾兼門せおかねかどの妹保子である。兼門は太治元年(1126)滅んだが、保子だけは鳥羽上皇の宮女として仕え、上皇の御子を宿していたため許されて、平忠盛たいらのただもり(清盛の父)に預けられ、上皇の御子を産んだと伝えられている。これが妹尾太郎兼康公である。妹尾太郎兼康は、13歳で平清盛に仕え、才・智・人に優れていたことから平清盛の無二の忠臣となり、三備(備前、備中、備後)の領地を任され、備中妹尾(今の南区妹尾)に洲浜城を築いたと言われています。兼康公は土木技術にも優れたものを持っており、高梁川を水源とした「湛井たたい十二ヶ郷用水」の整備は特に有名で、地元では開発領主として名を残している。数々の戦功をあげた兼康ですが、1183年10月14日、木曽義仲との戦いで討死したと言われています。
福田公民館で資料を頂いた。
メロン農家があった。
日吉町まで帰るとドローンによる農薬薬散布が行われていた。

https://youtu.be/PnIVbCsOD7g

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