富山城・石井寺から高松城水攻め 一矢坂山周辺の文化財-



1.矢坂山周辺の原始・古代
 ①集落遺跡と貝塚
 ②古墳
  津倉古墳と青陵古墳
  矢坂山の古墳群
2.謎の古代寺院「石井廃寺」と荘園
①石井廃寺
石井廃寺は奈良時代に創建されたとみられる寺院で報恩大師開基伝承のある備前四十八か寺のひとつ。吉乗山(吉祥)石井寺もしくは石井山吉祥寺などの名が残る。寛文6年(1666)池田光政による寺院淘汰により廃寺となる。寺域は現在の妙林寺一帯であったとみられる。

末寺に(万成村)正雲坊・自正院(島田村)住林坊、(上伊福村)福立山宗蓮寺教音坊・常林坊、(西崎)知仙坊、(高柳村)実相院などかある。

3.松山長昌寺地蔵石仏
 花白岩の自然石に花頭窓風に寵部を彫りくぼめ、半肉彫りにされた地蔵菩薩立朧で右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。室町時代の応永10年から九年の歳月をかけて彫ちれたもめ。本来は現在地の上部にあった磨崖仏であったと言われるが、天保7年、(1836)の大地震で転落し横倒しになったものを、岡山藩から滑車を借りで引き起こしたとの伝承がある。
しかしながら、天保フ年には大地震の記録が見当たらず、台風などの風水害で転落した可能性が指摘されている。        
    銘文 右「松山長昌寺応永十年(1402)四月廿四日始]
       左[同十九首夏十三 幹縁長昌上人記]
4.富山城と戦国の争乱
富山城は矢坂山山頂に築かれた連郭式の山城で総延長300mにわたって、中心郭が南北に連なる。昭和42~43年(1967~1968)発掘調査される。
発掘調査で大きく時期に区分されることが明らかとなった。
 第1期 明応・永正年間(1491.~1521)頃
     有事龍城型の中世山城
 第2期 天文年間後半(1550)頃~永禄!O年056フ)
     小規模々石垣や一部に瓦葺建物のある戦国末期の山城
 第3期 宇喜多期 永禄H年(1568)~慶長5年(!600)
     石垣や土塀を備え瓦葺の建物の建つ本格的な近世的な山城
応仁元年(1467) 松田元隆 富山氏から城を奪い居城とする松田元成 金川へ
文明15年(1467) 松田元隆 富山氏から城を奪い居城とする
文明17年(1483) 福岡合戦で元親戦死 親家が城主に
応6年(1497)   備前国守護代浦上宗助(三石城主)に攻められるが撃退
永禄11年(1568) 松田氏宇喜多直家に滅ぼされる 直家の弟忠家が城主に
天正7年(1579) 毛利氏備前国侵攻 宇喜多忠家備前備中国境で撃退
慶長4年(1599) 忠家の子左京亮信顕(坂綺出羽守)家中騒動により出奔
慶長6年(1601) 小早川秀秋により廃城となる
5.宇喜多氏と備中高松城水攻め
天正10年(1582)2月八浜合戦
           宇喜多基家討死
        4月 備中侵攻
        6月 高松城開城
・合戦後、備中高松城は宇喜多氏に与えられる。
・関ヶ原合戦で宇喜多氏が失脚後も旧臣の花房氏(徳川家旗本)の所領となり、明治維新まで続く。
宇喜多忠家 ?~慶長14(1609)?
宇喜多詮家 永禄6(1563)?~元和2(1616)

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