岸一太の関西での報道


 大正期に岸一太はつるぎ号で東京より大阪に四時間で飛んだことが東京で報道されている。
これについて、関西での報道がどのようであったか大阪府立図書館に調査をお願いした。
・『日本航空史 明治一大正編』(日本航空協会/編集 日本航空協会 1956)p 231 に、「京都伏見の小畑常次郎氏のモーリス・フアルマン式に、岸博士製作の発動機を整備して、試運転を行った」旨の記載があります。
・『朝日新聞』(東京版)1916年10月19日朝刊5頁6段の「弓より思付きし飛行機用材 岸博士新型飛行機を製作し 来月早々洲崎埋立地にて試験」の記事中に「目下『つるぎ号』を携へて関西各地に巡回飛行会を開催中なる・‥」との記載があります。
・『朝日新聞』(東京版)1916年12月29日朝刊6頁2段の「本年の航空界(下) 所謂試験時代 悲しき出来事」にて、「岸博士の其の製造業に罹るルノー型七十馬力発動機を装置した剣号が前飛行将校井上中尉の操縦に依り処女飛行に成功し、長岡中将の設立した国民飛行会と提携して関西各地に実物巡回公演を開催し、…」との記載があります。
・『日本航空史 明治・大正編』(日本航空協会/編集 日本航空協会 1956)のp 274-279 「剣号と国民飛行会提携の巡回飛行」に記された、詳細な巡回の場所や日付を確認しますと、剣号の巡回地は、山陰、四国、九州の各地となっており、大阪の記述は見当たりません。

剣号の処女飛行成功 今朝も七時から
・1916年7月3日東京/朝刊5頁2段
剣号再飛行 一時間の航空 又もや好成績/民間飛行界の誇り 成功した発動機
・1916年9月14日東京/朝刊5頁1段
島津氏二万円を貰ふ 飛行協会懸賞一等発動機 昨日賞金授与式を行ふ/一万円を貰ひ損った友野氏 次に気の毒な岸博士
・1916年10月19日東京/朝刊5頁6段
弓より思付きし飛行機用材 岸博士新型飛行機を製作し 来月早々洲崎埋立地にて試験丿916年11月26日東京/朝刊5頁5段
岸博士の新飛行機<写>
・1916年12月13日東京/朝刊5頁3段
新剣号の破壊 搭乗者の負傷
・1916年12月29日東京/朝刊6頁2段
本年の航空界(下) 所謂試験時代 悲しき出来事
・1917年10月29日東京/朝刊5頁8段記事
岸博士の引退 昨日披露会
・1917年12月2日東京/朝刊5頁6段
岸博士経営の飛行場 昨日赤羽に 盛な開場式
・1919年3月15日東京/朝刊5頁3段
赤羽飛行場に出来る 飛行幼年学校 少年飛行家を養成して 卒業後は軍隊に入営 世界最初の試み
り919年10月14日東京/朝刊5頁2段
民間飛行界覚醒の為め 大々的改造運動 磯部沢柳両少佐等が主となり同志を糾合して会合 飛行協会に対し非難のあるも無理はない と井上中将は語る
・1920年9月16日東京/朝刊5頁9段
職工給不払から赤羽飛行場の動揺 岸場長出張中に勃興 閉鎖説等流布さるるも 事務所主任は断然否認
・1915.01.10飛行発動機披露 岸博士の発明製作 朝刊技術7面
・1915.01.13岸博士の発動機 総て内地産の材料で大成功▽披露会を催▽威力を発揮 ほか朝刊技術7面
・1916.07.02つるぎ号飛ぶ 民間飛行の新威力 岸博士和製新発動機の成功 朝刊サービス
5面
・1916.07.03剣号飛翔一時間 大煙突を掠めて前日同様好成績 朝刊サービス5面
・1916.12.12剣号飛ばん 朝刊サービス5面
・1916.12.13新つるぎ号の墜落 機体多くは破壊 搭乗中尉は無事 朝刊軍事5面
・1917.02.11剣号の飛行 朝刊サービス5面
 (1-3)毎日新聞のデータベース「毎索」では、大正期の新聞についても収録されていますが、キーワード検索対象は昭和62(1987)年1月以降の記事本文のみとなっているため、今回のご質問では使用しませんでした。
(1-4)神戸大学附属図書館新聞記事文庫(神戸大学)
大正期の記事が部分的ではありますが収録されているため検索しましたが、「岸一太」や「赤羽飛行」でヒットはありましたが、岸一太の飛行機関連事業についての記事の収録は見当たりませんでした。
※日付指定のない新聞本紙の調査依頼には、合理的な方法がないため、対応しておりません。
ご来館いただき、閲覧・調査いただくことが可能です。
大正期の『朝日新聞(大阪版)』は大阪府立中央図書館・中之島図書館で、大正7年までの『大阪時事新報』と大正期の『毎日新聞(大阪版)』は中之島図書館で、マイクロ資料として所蔵しています
 (2)図書資料
下記の資料に岸一太の飛行機関係の事業について記載があります。
(2-1)『歴史のなかの中島飛行機』(桂木洋二/著、グランプリ出版、2002.4)
・p70-79の「岸の赤羽飛行機製作所と初期の国産エンジン開発」
2-2)『日本航空史 明治一大正編』(日本航空協会/編集 日本航空協会 1956)
・p 184-187 「懸賞発動機の応募二二種」「陸海軍帰還将校の歓迎と講演」
・p 231 「京都伏見の小畑常次郎氏のモーリス・ファルマン式に、岸博士製作の発動機を整備して.試運転を行った」旨の記述
・p 274-279 「剣号と国民飛行会提携の巡回飛行」
・p334-335「赤羽飛行機製作所創設披露と将来の計」

神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 道路(03-072)
国民新聞 1922.12.20 (大正11)

路面改良の変更に市正会は根本的変更意見
東京市会の市正会は十八日夜尾張町松本楼に曇に鮮満地方視察を遂げたる三木武吉、木下常松両氏の歓迎やら忘年会を兼ねて総会を開いた出席は十数名で来る二十二日の市会議案は当日午後に市会議事堂内で総会を開いて改めて協議することにし目下問題となって居る路面改良事業が国庫補助金の予定した二分ノーが十二分ノ五となり又だ大正十七年迄に交付を受くるのが二十七年度迄に内定したり府税の交付金が十二年度に受けることが出来な<又事業繰延が約五万円近くあるを大正十三年から十五年度迄の竣工期迄に割当る等の関係から公債計画を立て工事費三千九百五十万円口外に利子等に於て約三千万円の増額を余儀なくされたに付いて医学博士岸一太氏及米国の道路を視察して先頃帰った永江技師の出席を求めて道路政策に関する説明を聴取した上で協議したが大体に於て原案の路面改良事業の変更は従来の舗装計画に立脚して予算の変更を求めたのであるけれど該計画たる部分的には完全なる基礎工事を施すが為め下水管を初め水道瓦斯電線等の地下埋設物に対しては掘馨を繰返さねばならぬ関係上下水其の他の埋設物整理せざる限り完全なる舗装は困難なれば成るべくコンクリート杯の廉価なもので広<舗装するが焦眉の急であるし埋設物の整理が十分出来て居らぬ現在の実況から見ても穏当である
故十九日に開く道路評議会では自派選出の小森七兵衛、森脇源三郎両氏が舗装の根本計画から変更した提案を要望する趣旨の下に原案の否決を提唱することにして九時過散会した

データ作成:2002.3神戸大学附属図書館
神戸大学経済経営研究所新聞記事文庫蚕糸業(05-009)
時事新報1914.4.5(大正3)
岸式人造絹糸
桑口の繊維素より紡出
権利仏人に帰せんとす
人造絹糸は織物界多年の問題にして其成否は帝国産業上に影響する所少からざるが医学博士岸三太氏は苦心研究の結果其一製法を完成し仏国工業株式会社理事バーレー氏は仏国ダブルレーダーシンジケートを代表し去年中旬同博士より二十万円にて権利引受けの約を結び売買委任状を携えて帰国したる由今同博士より其発明の経路を聞くに 発明の動機は一昨年夏同博士が東洋パナマの研究をなしたる節各種樹木チエルローゼ(繊維素)よりそれぞれ異種のセルロイドを生ずるを発見し桑食せる蚕より繭の生ずるは桑のチェルローゼの特異性に起因せずやと思考せしに始まれり爾来博士は多大の経費と苦心とを以て研究に従事し桑等の繊維素を漂白して之を硝化しエーテル、アルコール等に溶解したる後一定量の蜻油を加えて紡出し終に完全なる人造絹糸を製出するに至り昨月六月特許を出願し両三日中に認可状下附せらるる筈なりと
 岸式人造絹の特異点は強度著しく三デニール以上随意に紡出し得る上光沢良く従来の人造絹糸の大欠点たる湿潤煮沸洗篠に耐え感触亦絹糸と異ならざるにあり同博士は信州より織布職工を雇入れ自宅研究室にて織布に従事せしめつつあるが之亦真正絹布と相違なきに近し唯真正絹の異る点は蚕繭固有の窒素を含有せざる点なりしも是亦昨今研究の結果進捗して自然絹と類似するに至れりと而して其製産費は一千キロの装置費に約一千五百円を要するのみにしてーキロに付総製産費三円見当なれば在来の絹糸の市価に比較すれば五分の一の廉価に当る若し製造者に於てエーテルの醸造をも兼ぬる時は生産費は更に減少すべく其経済的価値は著しきものあるべしと云う
 内地事業家の交渉此の如く岸式人造絹糸は在来多種の製品と異なり其実用上の経済的価値少からざるもの存するが如くにして果して然らんには正に帝国織物界に大革命を来すべきものなれば富士紡の和田豊治氏鈴木商店の金子直吉氏等は此発明の権利のむざむざ外人の手に帰するを遺憾とし目下岸博士と交渉中の由にて同博士に於ても若し真実吾国の事業家にして引受るの誠意だにあらば仏国シンジケートに対する契約は如何にしても之を破談すべく金銭上の犠牲の如きは敢て解する所に非ずと明言せり

データ作成:2000.5神戸大学附属図書館
神戸大学経済経営研究所新聞記事文庫製鉄業(05-083)
大阪朝日新聞1920.10.15(大正9)
製鉄自給と砂鉄
団鉱の製法完成
陸軍省にては軍事上製鉄原料自給策に就き焦慮しつつありし際医学博士岸一太氏より曇に帝国内に豊富なる砂鉄を圧搾熔結して団鉱を造り普通鉄鉱に代用するを鉄原料自給の良策とすとの提言あり従来の調査に依れば砂鉄の存在区域は広汎にして就中北海道噴火湾沿岸、青森県下北郡、岩手県九戸郡には多大の砂鉄を見鉱量

のらしい、社長の性格は何時もそんな時には誰にも語らずに独り考えて好いとなると突然のように実行する人であるから此計画も早晩実現されることだろうが、兎も角事柄が大きいし、日本としては初めての試みだけに経費の点や使用する飛行機の構造、又愈々実現さすにしても何ういう方法でやるかなどに就ても充分研究を要することは無論で、目下飛行機に関して造詣の深い吉島法学士が社長の顧問のようになって専心其方面の研究中である、それに飛行協会の阪谷男なども社長に対して色々意見を述べて居られるようである、又飛行協会も一日も早く其実現を期待して居るとの話であるから或は飛行協会に該事業を一任するか、社長が単独でやるか将だ又他の実業家の協力を得てやるかは問題であろう」と語って居た単独経営は先ず困難政府の補助が必要と戸田氏は語る
次で飛行協会を訪うと戸田理事は「協会としてはまだ何等の交渉を受けて居ぬが吉島氏が研究資料蒐集の為め度々協会の技術者徳永大佐に会って相談をして居ることは聞いて居る、協会としては勿論之が実現を歓迎して居る訳であるが協会自身が此計画やら経営を引受けることは性質上出来ぬことと思う、浅野さんにしても之れを独りで始めようとすると却々困難な事業であることは既に航空輸送を実現して居る欧洲諸国の実例が明白に示しで居る、之にはどうしても政府の援助を仰がねばなるまい、其は恰度日本の海運事業が政府の補助によって始めて今日の隆盛を来らしたようなものである、日本の飛行機でも最早充分空中輸送の確信は出来て居る、唯だ金が無いのである、愈々実現されるとなれば現在の飛行機でも優に五十里の道を僅々二十分の時間で荷物を輸送することになって日本運輸界に一大革新を与えることとなろう」と語った

データ作成:2002.7神戸大学附属図書館
神戸大学経済経営研究所新聞記事文庫繊維工業(06-183)
中外商業新報1936.10.30(昭和11)
ウルトラヤーンからステープルファイバー
製造に成功

浜松一木下技師の苦心
浜松電話=浜松市砂山町日本飛行機塗料会社技師長工学士木下善寿氏は今回ウルトラヤーン(紫外光線糸)及びトーク(飛行機翼布塗料)からステープル・ファイバー糸の製造に成功した、同氏の発明になるウルトラヤーンは白ボロを晒して液体としたものを○・○一ニミリの孔から噴出したものを伸長防糸してつくるもので耐震動、耐油、耐水性等が充分であるのみならず難燃性、弾力性に富み、光沢も頗るよく目方も人絹糸の比重一・五であるのに対し生糸同様一一三である、更にこれを有機酸で処理すればステーブルーファイバーの代用品となりそれによって出来たものは弾力性もあり強度の点て生糸にやや劣っているが、その他の点では生糸より卓越して居り極めて理想的の繊維である、これによって織布されたものは紫外光線を完全に透明することが出来るので着用すれば直接日光光線に当っているのと同様の効果があり、製造原価は人絹よりやや高くなるが、紫外線の透明を利用し得ること、原糸から織布まで一貫作業をなし得るようになついる、右につき木下氏は語るかつて岸―太博士が硝化綿を溶かして人絹糸の製造を始めたが、これは可燃性のものであるため学界から黙殺されそのまま宿題となっているが、今度のものは飛行機の塗料からつくる難燃性のものであって岸博士のやったものよりはその点だけでも勝っていると思う

データ作成:2000.5神戸大学附属図書館
神戸大学経済経営研究所新聞記事文庫製鉄業(06-094)
大阪朝日新聞1922.1.2(大正11)

春風は何処に吹く
此処に吹くは冷たい風
寂れ行く鉄鉱業
寒流砕け散る津軽の海にそそり立ち其の腹には二億噸からの鉱量を呑むと伝えらるる青森県下北半島の岸壁に化学的の方法で砂鉄の採掘を試みて居た岸゜太博士や藤田組の企てはその後どうなっているであろう?
さなきだに戦後の暴落に起つべがらざる打撃を受けた日本鉄鉱業は更に軍縮問題の将来から暗潅たる呪咀を投げられた、戦時三四百円台にも上った銑鉄が六十円内外にまで下落したばかりか生産費が当時の二三倍に騰っている昨今では鉄鉱山の寂れ方は想像の外である日本最大の鉄山と云われる宮城県釜石が九年度六万噸内外、好況時代の半位で十年末には更に減った、年額五千噸の仙人鉄山(巌手県)四百噸の九里木鉄山(巌手県)などは問題外である、関西では昨年の春頃奈良県大峰山麓の大峰鉄山が休山を宣して職工全部を解雇した、戦時中鳥取、島根、岡山の諸地方で次から次と採掘を願い出た砂鉄採取場は最近に至ってばたばたと休山の貼紙を出し現在事業を継続しているものは当時の幾割にも当らない試みに大阪鉱務署管内二府十六県の砂鉱採取の出願件数を此の数年来の統計に見れば
大正十年二二八件
同七年五三三件
同八年七六件
同九年三三件
で大正十年に入ってば二十件になるやならずである、大正七年には五万人からいた男女鉄山就業員が九年後には二万人内外となり十年末にはそれ以下に減少した右に就て同署柏木鉱政課長を訪えば浮かぬ面持で語る『今のところ日本の鉱業界は殆ど行き詰まりの形で殊に鉄の場合は甚しい、生産費は高く鉄価は廉く日に日に寂びて行く鉄山の前途は涙なしでは見られない、唯僅に不幸中の幸は当署管内の就業坑夫は半農的な人が多いので失業問題で騒ぐことなどは斟いのですがそれにしても軍縮の結果が新しい工業の勃興となって表れるのは何時のことでしょう』

データ作成:200口神戸大学附属図書館
神戸大学経済経営研究所新聞記事文庫政治(30-111)
大阪毎日新聞1923.831(大正12)
人選中の山本伯犬養毅氏等と会見して内
閣組織の諒解を求む
新内閣組織の第一歩として政界各方面の諒解を求める山本伯の会見は三十日も前日に引続き水交社で行われた、伯は午前八時四十五分早くも自邸を出でて同九時五分水交社に入りそれより先き同社に詰め掛けていた山之内、樺山、浅井諸氏等と協議に耽った、同十時五十五分研究会の青木、黒田両子の来訪あり会談約二時間に亘り両子は辞去したがその間俵孫一氏、高山公通中将等の往来あり午前十時問題の人犬養毅氏が玄関先に其の精悍無比の顔を現し次で十一時半有力な新閣組織の幕僚安楽兼道氏も来り犬養氏は青木、黒田両子が山本伯と会談する間次の間で樺山資英氏と会見新内閣組織の計画を仔細に聴取する所あり研究会の両子爵が辞去した後山本伯と午餐を共にして懇談した(東京電話)
研究会幹部暗に入閣拒絶再度の会見に於いて研究会の青木信光、黒田清輝両子は三十日午前十時山本伯を築地水交社に訪問し前日山本伯から後継内閣組織について諒解を求められたるに対して一応の挨拶をなすべく青木、黒田両子から
青木、黒田両子昨日の閣下の御意見は早速同僚にも伝えておいた、しかし研究会は如何なる内閣に対しても是を是とし非を非として居るので閣下の内閣に対してもこの驀絆を脱することは出来ないと思う、この点は同僚間に意見の一致したところである
とて暗に会内から入閣することの不可能なるをほのめかしたので山本伯は山本伯世間では山本が圧制的の政治をやるだろうと云うて居るそうだが自分は決して左様な意志はない、昨日も申述べた通り現下の内治外交を一瞥するに幾多の重要案件が殺到して居る状態であるが此等は内閣の成立以後慎重審議を遂げ決定するつもりである
と政策問題については其片鱗をも洩らす所な<又研究会側において主張するが如き挙国一致内閣なるものが結局両院の多数勢力を無視したものであって決して政治を円満に運行するの途でないという事については更に弁駁もせず考慮の余地も示さなかったそうである、故に折角再度の会見が行われたにも拘らず研究会が積極的援助を与え延いては会内よりの入閣を実現すると云う段取に至らずして両子は午後零時十五分辞去した(東京電話)
幸三派は傍観各派総会の意見一致
貴族院の公正、茶話、同成三派は何れも三十日午前十時幸倶楽部に臨時総会を開き公正会では宇佐川一正男、茶話会では大島健一氏、同成会では伊沢多喜男、谷森真男両氏から夫れ夫れと後継内閣組織に関する山本伯の意見を紹介しこれが対策について協議したが各派とも山本伯の内閣組織に関する誠意は認めるが果して如何なる政策を以って局面を展開せんとするか暫くこれが推移を傍観し其の政策の決定を待って態度を決すべきものであると云う意見に一致し何れも正午散会した田中大将山本伯の招電で急濾上京
伊豆修善寺温泉菊屋旅館に潜在中の田中義一大将は三十日朝山本伯からの招電に接し急濾午前九時三十一分東海道線三島駅発列車で東上した、同駅から同乗した記者に対し田中男は語る
 後継の山本内閣問題については何等語る事はない、政界の事は更に知らぬが今朝山本伯から至急逢いたいと云う知らせがあったから帰るのだ、伯と会って見ないうちはどんな用事か、それも知れぬ、僕が陸軍大臣に推薦されて居ると云うのも新聞で見た位の事である、今回の政変については東京日日新聞は最も詳しくよく書いてあると語り同紙二面欄にある薩派奏効の記事を読みつづけて笑いを洩していた(御殿場来電)
後藤子邸訪客
伊豆修善寺温泉菊屋旅館に潜在中の田中義一大将は三十日朝本伯からの招電三十日後藤子邸の訪問者は左の通りである
 松木幹一郎氏、望月小太郎氏、永田秀次郎氏、長尾半平氏、安場末禧男、中村是公氏、岸一太氏
山本内閣に対しては友好関係絶無高橋総裁の態度は大出来危機に際会した政友会
政友会の山本内閣に対する態度については二十九日の幹部顧問連合会では内閣の実質も未だ不明であり政策も不明である今日急いで決定すべさ問題ではないというに一致したが高橋総裁に対する山本伯の交渉が既報の通りの如きものであった為め高橋総裁が即座に交渉を拒絶したことを以て総裁近来の上出来となし山本内閣に対して一戦の覚悟をきめたものも少くないようである、即ち往年寺内内閣に対して好意的中立の態度をとった際には両者の間に相当了解があったに反し今回の山本内閣とは未だ何等了解がないばかりか或は可なり手強い政敵として迎えねばならぬようになるかも知れぬ情勢となったので党員中には一種の緊張を示し久しく順境に馴れた
政友会にとって頗る重大な局面に際会したものと見ている、加うるに党内には幹部がこの時局に際して我党内閣一本槍の旗を樹てて最後まで楽観を続けたことに対し幹部の不明を責める声もあり横田総務が延長内閣計画に与ったとの世評に関して同総務の態度に多少批難すべき点ありとなすものもあり政友会としては頗る警戒を要する時期と見られて居る、併し一方には党内における責任問題の有無如何に拘らず外に対しては益々結束を固うし一致協力して敵に当らねばならぬとなす説も有力である、
此論者は所謂政友会の伝統的愛党心に信頼して必ずしも党の将来を悲観しては居ないようである。斯<て山本内閣に対する党内の輿論も目下の所少くとも友好関係の絶無を示しているが幹部は何れ山本内閣の実質その政策及びこれに対する党内の輿論の熟するのを見た上で党の態度を決定する筈であると(東京電話)

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