身延山久遠寺


10/20 浜松駅より大井川の先の島田駅に降りた。S君が車で待っていてくれた。早速静岡市に向けて走りながら聞く。奥さん看病して先立たれている。結婚式の時は参列させてもらった。町内会長の役職は終わったが、この日も、臨済宗のお寺の世話があると。
中心部の駿府城が近づく、赤い鳥居が目に入る。静岡浅間神社に今川館があったとの事。
南西の坤櫓から南東の巽櫓と駿府城の周りを一巡りした。
二ノ丸南東の巽櫓(たつみやぐら)が、1996年には東御門(櫓門)と続多聞櫓が日本古来の伝統的在来工法によって復元された。天守閣は無く公園として市民が楽しんでいる。この中が今川館跡と云われているようだが違うらしい。
静岡駅に送ってもらい身延線に乗る。駿河湾沿岸部から甲府盆地にかけて、富士山と赤石山脈(南アルプス)に挟まれた富士川の流域を走る山岳路線である。全線にわたり富士川の左岸(東側)を通り、本流を渡ることはない。北側は甲府盆地内の鰍沢口駅、南側は西富士宮駅付近まで地形が開けており、沿線人口が多い両端部での区間運転も多い。また中京地方以西と山梨県を行き来するには最も利用しやすい鉄道ルートで、静岡駅で東海道新幹線と接続する特急「ふじかわ」が運転され長距離輸送も担う。
見延駅よりタクシーで久遠寺に向かう。降りたところが奥の院へのロープウェイ乗り場だった。天候も悪く見合わせる。境内を回って行くと五重塔見え、納骨に桜の時期来た人がうらやましかった。
修行の集団が南無法蓮華教を唱えながら10組ほどあり壮観であった。
本堂前を回り報恩閣で先祖供養の祈祷のお願いをする。納骨の人がほとんどであった。
仏殿で10何名かが祈祷していただく。
また、タクシーで見延駅に戻り甲府に宿をした。
項中に650年前の日蓮上人直筆の曼荼羅があり、建治2年となっていて、何時土産に買って帰たか分からない。各家庭にある曼荼羅には和尚の名前と年号が書いてある。
日蓮は自らをイメージする宗教的世界を紙上に筆書した曼荼羅本尊を描き、礼拝、受持の対象として門弟や信者に与えたといいます。
鎌倉時代、疫病や天災が相次ぐ末法の世、「法華経」をもってすべての人々を救おうとした日蓮聖人は、三度にわたり幕府に諫言(かんげん)を行いましたが、いずれも受け入れられることはありませんでした。当時、身延山は甲斐の国波木井(はきい)郷を治める地頭の南部実長(さねなが)の領地でした。日蓮聖人は信者であった実長の招きにより、1274(文永11)年5月17日、身延山に入山し、同年6月17日より鷹取山(たかとりやま)のふもとの西谷に構えた草庵を住処としました。このことにより、1274年5月17日を日蓮聖人身延入山の日、同年6月17日を身延山開闢(かいびゃく)の日としています。日蓮聖人は、これ以来足かけ9年の永きにわたり法華経の読誦(どくじゅ)と門弟たちの教導に終始し、1281(弘安4)年11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山妙法華院久遠寺」と命名されました。
武田信玄も隠れ湯に浸かりに来ていたそうだ。(納豆博士)
写真
1.本殿
2.修行団
3.報恩閣 右枝垂桜


 

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