井原探訪


瀬戸内市の熊山の会の案内で井原方面を探訪した。

総社で 江崎古墳 石棺を見学〔井原の波形石を使った石棺〕
井原 まほろば館 見学 
興譲館 校門  [中国の大学と云う本の中に「一家譲に興れば一国譲に興る」とある。 「譲」とは「譲る」気持ち。
高越城跡(お昼弁当)。北条早雲(伊勢新九郎盛時)の城。
途中 マリア観音像黒木の高札場 金魚岩 
浪形石(子安観音)ここの石が石棺に
千手院 (巨大千手観音様) 浪形石群
明治池ほとりで巨岩「天狗岩」⇒道祖渓を歩いて見学
永祥寺
諏訪神社の石鳥居(那須与一の弟小太郎宗晴の末裔が建立)
 讃岐松田の会長夫妻が同行した。
小田原北条時代松田氏筆頭家老として活躍する
 明応4年(1495)北条早雲が大森氏を破り小田原城に入った時、一番早く駆けつけたのが松田氏一族だった。
 そして小田原北条5代約95年間、松田氏は北条の家老として任え、特に北条氏康の時代、松田憲秀は筆頭家老として権力を握っていた。
 永禄2年(1559)の「小田原所領役帳」では松田憲秀は現在の南足柄市を中心に、旱雲の息子幻庵に次ぎ土地を所領していた。尚、松田惣領分は遠山直景(江戸城代)、松田庶子分は北条幻庵、庶子西分(松田城付近か)は憲秀の弟で松田城主の松田康隆が所領していた。
 この時の松田氏の本拠地は松田憲秀の所領していた狩野との説がある。
 北条は豊臣秀吉に破れるが、北条氏直は助命され高野山へ追放されるが、松田憲秀の子直秀は、北条家臣30人の筆頭として雑兵300人とともに氏直に従った。氏直死後関白秀次に任えたが、秀次も亡くなりその後加賀の前田家に任え御普請奉行までになったとのことです。
写真 高越城跡
   浪形石(子安観音)
   千手院 (巨大千手観音様)dsc_0257

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