郷土の偉人 化学会の初代会長「久原躬弦と津山」


坂崎出羽守(浮田詮家)の2冊目が出来上がり、「Akiie Sennhime Ivent,Proburem」国際展開となり岡山県立図書館に寄贈し審査中である。
続いて裏の「岸一太物語」を編集するつもりだったが、偉人過ぎて語る方を探している。
今日も学生時代より入会しいる会の会長が津山の出身とは驚きだあった。
認定化学遺産第035号 化学会の初代会長「久原躬弦と津山」下山純正(津山洋学資料館元館長)
幕末,代々津山藩医を勤める久原家に生まれた久原躬弦(1856~1919)は,東京大学理学部化学科の最初の卒業生となり,日本化学会の前身となる化学会の初代会長に推された。京都帝国大学第4代総長まで務めた躬弦は,終生有機化学の講座を担当,「実験は化学の基本である」を信念に多くの論文や著訳書を残した。
久原家は,津山藩主森家の家臣・久原宗清良政(?~1666)に始まる。その養子となった甫雲良賢は,幕府医官の西玄甫から西洋流外科術を学び,「阿蘭陀流外科免許状」を授けられている。この免許状の日付が「延宝5年(1677)10月吉日]であることから『解体新書』刊行の実に97年も前であることに驚く。
その後,藩主の森家は改易されて松平家に代わるが,外科術の腕が認められ,1708年に松平藩の藩医に召し出されている。以後,明治維新まで9代160数年にわたって藩医を勤めることになる。
躬弦の父9代宗甫(洪哉,1825~%)は,華圖流の大坂分塾・合水堂に入門したほか,京都の石川元翠について西洋流医術を,広瀬元恭の時習堂で蘭学を修めた。コレラ治療や天然痘予防のための牛痘種痘を津山藩で広めた名医として知られる。特筆すべきは,1870年,藩主夫人・儀姫の乳癌摘出手術を実施し,見事に成功させたことである。執刀にあたっては,イギリス人医師ウィリスにも見解を打診し,「患部は切除した方が良い」との回答を得て決断したのだった。続く
化学と工業 69.8.2016 日本化学会

 

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