祝MRJ・幸吉・詮家・鯉etc


P1020166 P1020170 P1020193児島湖対岸の常山近くの八浜に出かけた。浮田詮家の兄と云われる弥太郎(浮田基家の八浜合戦でなじみだ。
今回は、鯉を入手するためだ。
田町の覚善院に送ってもらい秋の大祭に出席、昼ごろより。宇野線で出かけった。
茶屋町で50分待たないとならにどのことだか、快速で1便早く乗り、前の若物に話しかけると、坂出帰る途中とか。
初任地が高松イオンでやっと海を渡る気になったとか。紅葉見物に行ってみたい気分。
茶屋町で別れ、駅そばで時間をつぶす。干拓300年の記念碑が立っている。イ草記念館の案内も目に付く。鬼の親子の銅像が立っていて、鬼まつ行事の案内があった。茶屋町と鬼がどのように関係しているのだろうか。
プッラトホームで外人を見つけ話しかけるが、読書と彼女に夢中。
八浜駅に着くが意義と遠く、タクシーもないためヒッチハイクとなる。
児島湖浄化センター近くの養魚場に行く。顔なじみとなった大将が早速水槽より3匹小型の料理しやすい鯉を見繕ってくれる。
前日注文すれば、刺身も用意できると。
手際よく荷作りしてくれる。岡山まで特急便が30分間隔であると、停留所まで作業している人に送ってもらう。
停留所には表具師幸吉の記念碑と案内版がある。
世界で一番早く空を飛んだ人、幸吉が_(1757年)宝暦7年八浜の長町の『桜屋』 の次男として生まれる。7歳の時、岡山の紙屋に奉公にでた。
幸吉は鳥の飛翔に興味があり、蓮昌寺で鳩や雀見つめ夢を膨らました。八浜に帰り、生家の屋根から南風に乗って飛んだ。しかしこの飛行はわずか、50㍍で終わった。幸吉28歳。
岡山の京橋から風に乗って飛んだと言われている。『人々を騒がした罪』により一時入獄し,その後岡山をところ払いなった。
八浜で船員生活を経て静岡県 《駿府国》 へ居を移す。歯師として生計を立てていた。
しかし、夢を捨てきれない幸吉は飛行試みここでも所払いになった。
幸吉の最期は静岡県で 弘化4年8月21日 91歳で没した。

写真はカメラのデータが取れず過去の八浜。

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