詮家 三星城③


(木下昌輝 宇喜多の捨て嫁 一部省略)
山道を走る父の背中が小さくなる。左右から手を伸ばすように木々は尖った枝を茂らせていた。父の肩が当たるたびにそれは鞭のようにしなり、後方にいるお前たち母子に襲いかかる。
母の腰に巻かれた山吹色の打掛はほどけて落ちそうになっていた。
「あなた、待ってください」
「ここまでくれば、大丈夫だ」
追いついたお前たちに教えるというより、自分に言い聞かせるように父は口にした。
「おおい、阿部っ。阿部善定。儂じゃ。久蔵じゃ。宇喜多久蔵じゃぁ」
父が勢いよく門を叩いた。遠くで烏が爆ぜるようにして飛び立ち、お前たち親子を覆う喚声はさらに密度を濃くしていく。やがて、門がゆっくりと開いた。
「ててさま」と叫んだのは、お前よりも門の向こう側の方が早かったはずだ。
「おお、虎丸。もう歩けるようになったのか」
父は足下に歩み寄った虎丸と呼ばれた幼な児を抱き上げて、頬を擦り付ける。
「ててさま、いたい」
「もう痛いと口にできるか。賢いのぉ。八郎が同じ年のときはろくに話せなんだのに」
事態を飲み込めぬお前と母を取り残して、父は門の中へと入ろうとしている。その父に歩みよるひとりの女人がいた。父の胸の中の虎丸が「ははさま、ははさま」と口にして小さな両手を伸ばした。
「久蔵様、ご無事で何よりでした」
寄り添った女が額を父の肩へとすりつけた。
茶色の頭巾をかぶり、南蛮渡来の羅紗地の胴服を身にまとっていた。
「これは宇喜多久蔵様の奥方様でございますか。拙者、備前は福岡で舟商いをしております阿部善定と申します。あちらの女人は我が娘で、ご存知なかったかもしれませんが久蔵様のご寵愛を頂戴しております」
初老の男が頭を下げた。八郎よ、お前の目線なら男が胴服の下に、鎖帷子をつけていることがわかるだろう。商人と言っても、海賊が横行する備前で財をなしただけはあり、面構えは武士のように逞しいではないか。
「久蔵様のお胸に抱かれる虎丸と申す童が、拙者の孫、いや久蔵様のど次男と説明した方がよろしいでしょうか」
やわらかい口調とは正反対の鋭い眼光で、阿部善定はお前を睨みつける。
「おい、早う婿殿を、館の中へ入れろ」
阿部善定はお前たち母子を睨んだまま、背後に控える家人たちに命令した。
薄く開いた扉の中に虎丸を抱いた父が吸い込まれていく。
「待って」とお前が叫ぶと、父は少しだけ肩を跳ね上げる。だが、お前の顔はついに見ることなく館へと逃げ込んだ。
板切れ一枚がやっと通る程度の隙間になるまで門が狭められた。外に残されたのは、お前たち母子と阿部善定の三人。
「さて、奥方様」と、阿部善定が門のわずかな隙間を埋めるように立ちふさがる。
「婿殿のことは心配ご無用。拙者もかわいい孫を、てて無し子にはしとうありませぬ」
阿部善定か頬を釣り上げて笑った。
「それとは別に思案していることもございます。孫のために婿殿を命懸けでお匿いするのは当然として、奥方様や八郎様にそこまでする価値、いや失礼、義理があるのかと」
握る母の手から温もりが急速に失われる。
「阿部家を守るためにも、奥方様と八郎様は館にいれるな、と申す家人もいます」
また叫び声が聞こえてきた。さっきより、ずっと近くから。
「とはいえ女人と幼子をこの乱世に放つのは死ねと言うに等しい行為。そこでじや、奥方様と八郎様にある条件を呑んでいただければ、門の中へお招きしようと思います」
「何でもします。この子が助かるなら、どんなことでもします」
母が深く頭を下げると、阿部善定は満足そうに頷いた。
「宇喜多久蔵様は堺の親戚から紹介された入り婿として匿うと決めておりまする。その入り婿に正室や嫡男がいるというのも妙なもの。よって、奥方様と八郎様には、今のご身分を捨てていただく。入り婿に雇われた端女とその連れ子ということにして、当家で養わせていただこうかと思っております」
「えっ」と口にして母は顔を上げる。
「無論、敵の目を欺くために普段から下女と同じ待遇で接させていただきまする」
阿部善定の両頬が下品に持ち上がった。
「くれぐれも言葉はお慎みなされよ。阿部家の婿殿に親しく口をきくなどもっての外」
母の体が小刻みに震えている。
「条件が呑めぬなら、どこぞへと好きなところへ落ち延びなされ」
阿部善定は人ひとりが身をよじれば入れる程度に門扉を開けた。また背後で悲鳴があがり、数十羽の烏が空を覆う。母が唇を強く噛んでいる。ギュッと拳を握りしめたので、お前の指がきしみ「痛い」と悲鳴を上げただろう。もはや聞こえるのは喚声だけではない。刀剣が激しく打ち合わされる音も耳に届く。
母の唇から朱が一筋流れ出した。
「わかりました」P1010565 P1010599 P1010611

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