津和野城主 詮家


詮家が津和野の活躍したなど岡山ではほとんど知られていない。津和野町史を岡山県立図書館を通じ取り寄せ読んだ。
関ヶ原の戦で、吉見氏は萩へ退転した。津和野藩は一時期幕府直轄領となり大森銀山奉行が支配した。
その後、慶長六年(一六〇一)十月、坂崎出羽守直盛(成正、成政、直行、重長、信顕、詮家、左京亮)が津和野藩三万石城主として入城した。元和二年(一六一六)「千姫事件」で廃絶になるまで、津和野における坂崎氏の治世は、一代十六年間である。直盛については町史第二巻で詳しく考証されているが、この町史第四巻の目的は日本史とのかかわりにおいて編纂することである。そのことからすると直盛の「千姫事件」ほど日本中はおろか世界にまで知られた事件は少ない。特に幕藩体制の確立期に、時の権力者に抵抗した事件に対しては、ことの善悪によらず批判は厳しく、時代の声におもねった先入観と偏見にとらわれた史料がなしとしない。
来年は吉田松陰の妹が大河ドラマとなるため萩の隣の島根県津和野にも観光客が増加するだろう。
写真 山口061118 009 山口061118 017 山口061118 023
2006年秋
下関 水族館 萩毛利墓地 津和野

 

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