備前軍記16


NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」第14回「引き裂かれる姉妹」は天正5年10月播磨の福原城を1日で攻め落とし、上月城のみとなった。この城には、官兵衛の妻の光の姉が嫁いでいた。城主の上月景貞は宇喜多直家を裏ぎるつもりはなく、官兵衛と激突することとなる。

深追いした所を山名の麒麟児・山中鹿介に助けられた。しかし、上月は籠城をした。

鹿介は山名再興の為、上月城攻めの先鋒を願い出た。

宇喜多勢が背後に詰め攻めあぐねている所、7日目に家老の高島吉右衛門ら側近が、主君景貞の首を手土産に降伏してきた。官兵衛は直家よりに岡山城に招かれ、直家の策略であったと明かされた。直家は勝ち目のない戦いをしないし、信長にもつかないと豪言した。

裏切るような家来は信用できないと、信長の命により、主君を裏切った家来すべて焼き殺してしまった。無残なものであった。

☆新釈備前軍記によると、宇喜多の大軍を派兵する備前の動きは、上月城に立ち帰った尼子方の忍びの者によって報告された。尼子勝久・山中鹿之介・立原源太兵衛らは評定の末、この城に直家の大軍を引き請けては防ぎ続けることはできず、そのうえ長く籠城するには兵糧が乏しくとても支えることはむずかしいと判断し、天正6年2月、勝久は上月の城を去って摂津へ引き取ってしまった。

この報を受けた直家は、敵方が上月城へ兵を寵める以前にと、家臣の上月十郎・矢島某に人数を添えて尼子方が捨てた上月城を守らせた。

この上月城の動静は忽ち姫路にもたらされた。秀吉は、「城を捨て敵に城を明け渡すとは、何と尼子勢は言い甲斐のない者共かな。この上は、自ら出陣して立ちどころに備前勢を追い落としてやろう」

と二万の大軍をもって押し寄せ、何段にも城を包囲し、これを攻め立てた。

上月・矢島も命の限り防戦したが、多勢に無勢でとても守り抜けるように見えなかった。その兵卒達は止むを得ぬと思つたのであろうか、

「城将上月・矢島を討ってその首級を差し出します故、何とぞ諸卒の一命だけは助けて給われ」

と降参を願った。

しかし秀吉は聞き入れず、城中の兵を搦め取り、上月十郎には切腹させ、その首級を江州安土の信長のもとへ送った。残る宇喜多の侍には、上総躍をさせてみようといって、残らず蓑笠を着せて磔の木に登らせ、その下に焼き草を積み、ひとり残らず焼き殺してしまった。大勢の侍どもの苦しむ姿は目も当てられぬ無惨なものであった。これ以後、この場所を張付谷と呼ぶようになったという。

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