備前軍記1


来年NHK大河ドラマは黒田官兵衛が放映されます。また本日の山陽新聞夕刊で、天神山城郭の記事が載っていて備前軍記の書き出しにあたります。 この時代の歴史書として「備前軍記」を読まないではならないでしょう。宇治郷大安寺(現大安寺東町)の別邸竹裡館https://tsuboigenzaemon.wordpress.com/2013/01/08/%E4%B8%87%E6%88%90%E5%B1%B1%E6%95%A3%E7%AD%96 で土肥経平が江戸時代中期の18年かけて安永年間に完成した軍記です。備前を中心に、周囲の美作・備中・播磨を舞台として展開された戦国動乱を扱った物語です。戦国時代のまとまった歴史書が無かった時代、すなわち応仁(1467~1468)から慶長(1596~1614)までの間にところを神社仏閣に所蔵する文書・記録により、さらにまた、武家に伝わる記録類を吟味して著しています。 就実大学名誉教授の柴田一先生の「新釈備前軍記」によりますと次の書き出しから始まります。

備前国の守護並びに赤松家興廃の事  後鳥羽天皇の文治元年(一一八五)、鎌倉右大将の源頼朝が惣追捕使に任ぜられて後、諸国に守護・地頭を置いて諸国の逆乱を鎮定された。それ以前の元暦元年(一一八四)に、梶原平三景時・土肥次郎実平が、備前国に下ってきて守護になったとか、或いは佐々木三郎盛綱が備前見島の地を賜り、その同族の飽浦・加地・倉田の諸氏が移住して同地に定着したといわれるが、鎌倉時代に誰が備前の守護職であったかは明らかでない。  その後、室町将軍のはじめ、南北朝時代の文和四年(一三五五)、赤松律師則祐が備前の守護職を賜ったとき、かれ白身は播磨国の白旗城(現兵庫県赤穂郡上郡町)にあり、やがて浦上掃部助宗隆を備前の三石城(現備前市三石)に置いて備前国を治めさせた。~ 続いて一宮参拝の項で、富山城の記述がある。。日本で現在岡山城管理事務所におられる出宮氏など岡山市教育委員会の発掘調査が行われています。

赤松政則が播州に帰り備前一宮へ参詣の事 去る応仁元年(一四六七)、赤松政則は備前を制圧した時、直ちに作州へも打ち入りたいと軍議ろ開いたが、京都の形勢がそれを許さず、そのまま上洛した。しかし同六年、赤松の部将宇野人道・太甲二二郎らは作州へ乱入し、山名の軍勢と戦ったが、戦い利あらず備前に引き揚げた。  やがて、作州の山名勢が過半京都に出勤し、それを見透かした赤松の部将中村五郎左衛門は、作州の国侍を味方につけ作州の各地の城を攻め取った。京都にあってこのことを聞いた政則は、その一族の平岡民部大輔を作州に遣わし、中村五郎左衛門に協力させた。そして文明三年(一四七一)頃までに美作を制圧したので、播磨・備前・美作の三国は、おおむね昔のように赤松家の領国となった。  こうして京都の合戦も終わったので、文明九年には、政則も播州小塩(現兵庫県飾磨郡夢前町にあった置塩城のこと)に帰城し、三国の政治に当たったが、同十二年には、小塩城を発して備前に入り、備前の一宮吉備津宮に参詣した。その行列は、随兵の衣服・馬具までも美麗を尽くしてきらびやかであった。奉幣の行事も終わっての帰りみち、政則は福岡に一泊し、翌日は三石城で浦上美作守則宗の響応をうけ、そして小塩へ帰還した。  政則は侍所の所司であったが、その頃は播磨に在国したので、家臣の浦上美作守則宗が、政則に代かって在京し所司代を勤めた。そのため、備前国中の政事はすべて松田権頭元隆がひとりで取り仕切った。西備前の御野郡・津高郡・赤坂郡・上道郡は、まるで自分の所領のように扱い、年貢などは自分の城下の富山(現岡山市矢坂本町)や金川(現御津町金川)に納め、また諸寺社への所領寄進も心のままに申し付けた。そのため、当時松田の判形で所領を寄進した寄附状が今も残っている。この元隆は、文明五年(一四七三)に富山城で病死し、津島村の福隆寺に葬られた。松田氏は代々日蓮宗を尊信したため、この福隆 寺も日蓮宗に改め、元隆の法名妙善に因んでこれを寺号とし、妙善寺と改めたという。   注 一説には、妙善とは元隆の母の法名という。   実は赤松律師則祐の道号を妙善という。従って 元降や元隆の母親の法名である筈はない。或いは元隆の死去以前に、則祐のために寺号を妙善寺と改めたものか。本当のところは明らかでない。  元隆の死後は、嫡子左近将監元成か家を相続し、父の時代と同様、思うがままに備前の国政を執り、西備前一帯を領有した。その上、赤松家のもとから自立しようとする野心があったためか、これまでの居城であった富山は、西国往還に近く、また要害もよくないという理由で、居城を津高郡の金川城に移した。ここにもまた、寺を建立して妙国寺と名づけ、元成の弟の松田元満を出家させ、これを花光院と名乗らせて妙国寺の住職にすえ、いよいよ日蓮宗を尊信するようになった。

図、本日の山陽新聞夕刊 岡山県内中世城跡im_0001-2

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