ロスアゼルス市街見物


朝食をご馳走になり、9時よりロスアンゼルス市内を案内頂きました。南カルホルニア岡山県人会の慰霊碑の裏には、「岡山県より米国への足跡は1869年 明治2年5月 函館戦争に敗れ 老中板倉勝静備中松山藩主警護の藩士ら64名は郷地無く 軍商人に従いオレゴン州オンタリオに入り農園と鉄道に就労した 後年 近親者の呼寄せ 移住 留学等の定住により今日に至る 南加岡山県人会は1904年に創立 同胞の親睦 融和 発展に努め多くの指導者を輩出し 日系社会の礎を築いた功績は多大かつ岡山県人の誇りで有る 茲に先覚者の偉業を称え幾多の苦難を偲び満腔の敬意と感謝をこめ 先亡の各緒霊に謹んで追悼の誠を捧げ創立100周年を記念し慰霊碑を建立する 2004年1月 南加岡山県人会 会長 吉本輝雄」と記してありました。高梁市史にはこの記録は無いが、板倉勝静が藩士とともに函館まで追いやられ、藩主自身が欧米ないし満州に渡ことを画策していたようです。藩主は明治政府に帰順し備中松山に帰り山田方谷に会っています。公式には日本より北米大陸への移住は1884年となっていますのでそれより15年早いことになります。

続いてリトル東京を散策しました。赤い櫓に大社が載っているのが目じるしで、日本料理店が並んでいました。そこから見える高層に州庁舎には日本の国会議事堂そっくりでした。ディスカバリー事故で無くなった鬼塚宇宙飛行士の記念碑があり、離米の前日シャトルが飛行機に乗ってロスアンゼルス空港に着き、科学博物に陸送のため街路樹をきるなど準備していました。

ハリウッドを歩き、チャイニーズ・シアター前の俳優の手形、足形、サインを見て一喜一憂しました。山の上にある「HOLLWOOD」の看板が目える所を含めて人の波でした。

午後は高級住宅街のビバリーヒルズを通り、マリリンモウローが安置されている墓所を訪れ、UCLA(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)の医学部棟が林立する町並みを見ました。

サンタモニカの浜辺の桟橋を歩き、その広大で長い砂浜にビックリしました。観光客が大勢で、泳いでいる人で賑っていました。ちなみに温度は32度と日差しは暑いですが湿度が低く乾燥しているため汗を余りかきませんでした。

夕暮れとなりガボチャン宅で自慢のバベキューをご馳走になりました。その肉の大きさにビックリです。厚さ5cm、1.5ポンド(約700g)の牛ステーキ7切れを手際よく焼く姿は胴に入ったものです。ときたま火炎が上がり驚嘆しました。大きさに驚き食べられるか心配しましたが、美味しさに平らげてしまいました。

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