8月 2012 のアーカイブ

伯耆大山3 読書&門脇家住宅

2012年8月11日

デジカメの充電コードが着くまで午前中「吉備群書集成」を読んだり、ドウダンツツジに絡まったツルを取り除いたり、草取りで過ごしました。吉備群書集成は大正10年発刊、全10輯、各600ページの岡山県関連の地誌、人物などの集大成です。第1輯 和気絹(高木太亮軒) 備陽国誌(和田正尹等著) 山陽道美作国古城跡,寸簸之塵(土肥経平) 備前名所記(土肥経平) 備中名所記(土肥経平) 歌枕備中民談(無楽翁) 吉備の志多道(古川古松軒)~第9輯 吉備温故秘録 利之巻(大沢惟貞編) 第10輯 吉備温故秘録 乾之巻(大沢惟貞編)

という云う訳で、家から持ってきた吉備群書集成第1輯 地誌部(上)和気絹 御野郡 富山城の項を改めて読むこととしました。松田記伝よると、備前国一乱以後、山名領知の福岡の城を攻め落し、軍功により伊福郷をもらい、直ぐ富山城を築き、大乱の最中で西備前数か所を領地とした。金川城で12代続いたが、松田滅亡の時、富山城は横井土佐が守った。天正年間より宇喜多直家の弟、浮田忠家居城を息子左京允に譲り大阪でなくなった。こののちの坂崎出羽守は関ヶ原の功労により津和野城3万石を拝領した。大阪城落城のとき石垣より投げ落とされた豊臣秀頼の妻の千姫が気絶しているところを坂崎が拾い徳川家康の陣所に届けたとき、自害すべきを怒り、姫君同心ないまま下さると決めた。所が故あって別に嫁ぎ坂崎大いに怒り姫を奪い取ろうとする。公儀が坂崎の家を取巻き打ち破ろうとする。家老が内通しその息子の小姓が蚊帳を張り、まどろんだころ家老が3度様子を見に来ることに坂崎は不思議な夢を見た。4度目に子が蚊帳の吊緒を切り、親が槍で突いた。 何度か映画化され、ハピーエンドとならない悲しい結末です。

有形文化財の美甘住宅に寄りました。富士山の火山岩で作庭した庭が自慢と当主が、江戸時代中期よりの地元の大地主だそうでした。現在は造園業をしている事は後で確認しました。

野崎のさんが云っておられた、国指定需要文化財の門脇家住宅を覗くと1,769年に建てられた茅葺の母屋(桁行22m、梁行16.5m)を中心に3381㎡以上の屋敷を美甘造園の庭師が、剪定中でした。いまの時期に剪定すると年1回でよいとのこと、我々年がら年中するのと訳が違うようです。水車小屋・米蔵・新蔵・井戸・湯殿・雪隠・茶室、池、大きな消火栓銃があるなど一通り見て歩いていると、若奥さんが出てきて春と秋しか公開をしていないと怒られ早々に退散しました。

今晩は、キノコすき焼きでエリンギ、ナメコなどマツタケが無いのが残念です。

伯耆大山2 名水・滝

2012年8月10日

古来の豆腐は、縄で縛って持ち歩けるほど硬かったとかで、地方の田舎でその伝統の豆腐を作っている話を聞き一度食べてみたい願望にかれていました。投げ入れ堂で知られる三徳山で見かけましたがその時は叶いませんでした。大山ロイアルホテルで聞いたところ、心当たりはないが淀江近くの真名井の名水で豆腐を作っているので聞いていてはとのことで、早速大山を下って行きました。

名水百選の「天の真名井(まない)」はすぐ見つかりました。『この泉は、米子市淀江町高井谷泉川にあり、天の名水と呼んでいます。「真名井」とは、「古事記」「日本書記」において、高天原の「神聖な井戸」を意味し、神聖な水につける最高品位の敬称です。高井谷の氏神である。下津守神社の古棟札にも、「天乃真名井乃清久潔幾与 元水於降玉布」と古くから記されております。その湧水量は、1日2500トンに及び、夏は冷たく、冬は温かく、実に味わいのある深い天然水です。云々。米子市』と書いてあります。湧水とのことで、蒜山や阿蘇山のように池の中より沸々と湧き上っていると思いましたが、池の先にまだ滝のような流れがありました。入口には飛沫をあげる流れがあり、その奥を見ると水車が廻っていました。小屋の中を覗くと臼をコトコトと突いていました。『ざぶざぶ落ちる 水の音 とんとんひびく きねの音 年が年中 休まない 五一車は 休まない』五一じいさんの額が掲げてありました。その奥に大きな浅い鯉の泳ぐ池があり、さらに奥に近所の人が水を汲みに来ていた水源ありました。飲むと冷たくさわやかな味でした。秋葉三尺坊大権現が樫の大木の下にありました。サイノカミとして火災から守り、良縁の神として祀られています。

そこを少し淀江に下ったところに「白鳳の里」名水から生まれたオリジナル商品として、周辺の森はドングリの木などの広葉樹が多生し、水を綺麗にしていることと古代人が食糧にしていたドングリを使った商品、ドングリ焼酎、白鳳ゆめ化粧品とともに名水豆腐を加工場で作っていました。目当ての岩豆腐ではないのですが、11時ごろそぼろ豆腐と木綿豆腐が出来上がるとのことで近くの妻木晩田(むきばんだ)遺跡を見てくることにしました。156ヘクタール調査され、1~3世紀の弥生時代の大集落跡で竪穴式住居群が復元されていました。タタラの原点の鉄器も作られていました。地方の一大勢力が暮らしていたことを伺わせます。「国引き伝説」むかしむかし出雲の国を治めていた八束水臣津野命は、高志の都都岬(北陸地方)のあまっているところに太い綱結んで引き寄せて、美保の岬(美保関)をつくりました。この時に使われた綱が夜見の島(弓ヶ浜)なったといわれています。

戻って豆腐を購入し急いで帰る心算が、本宮の泉の看板を見つけ寄って見ました。日量3万トンという県下でもほかに例を見ない湧水量を誇るほか、水生植物・シダ・コケ類をはじめとする貴重な動植物の宝庫となっています。昭和60年6月14日に「因伯の名水」16選に選ばれています。たまたま米子市の職員が水質検査に行く途中で案内してもらいました。名水のビデオを編集して送る約束をしました。ここも手前に浅い大きな鯉が泳ぐ池がありその奥にはヤマメの養殖場の跡の更に奥に伏流水が流れて来ている所がありました。日に3000トンの湧水量があり多くの人が水を汲みに来ていました。

清見寺によると因幡藩の池田光仲公が建てた寺で、室町時代末期につくられた木造千手観音立像が本尊で写真がありました。玉清姫(奈良時代の帝の后)にあやかり、良縁を求める信者が多くにぎわっています。

別荘に帰り豆腐に醤油をかけ味わいました。新鮮な大豆の味が残る美味なものでした。

デジカメの予備の電池も切れ、充電コードを忘れてきていることに気づき、宅配で送ってもらうことにしました。

伯耆大山2 岩豆腐を求めて

2012年8月10日

岩豆腐を求めて

古来の豆腐は、縄で縛って持ち歩けるほど硬かったとかで、地方の田舎でその伝統の豆腐を作っている話を聞き一度食べてみたい願望にかれていました。投げ入れ堂で知られる三徳山で見かけましたがその時は叶いませんでした。大山ロイアルホテルで聞いたところ、心当たりはないが淀江近くの真名井の名水で豆腐を作っているので聞いていてはとのことで、早速大山を下って行きました。

名水百選の「天の真名井(まない)」はすぐ見つかりました。『この泉は、米子市淀江町高井谷泉川にあり、天の名水と呼んでいます。「真名井」とは、「古事記」「日本書記」において、高天原の「神聖な井戸」を意味し、神聖な水につける最高品位の敬称です。高井谷の氏神である。下津守神社の古棟札にも、「天乃真名井乃清久潔幾与 元水於降玉布」と古くから記されております。その湧水量は、1日2500トンに及び、夏は冷たく、冬は温かく、実に味わいのある深い天然水です。云々。米子市』と書いてあります。湧水とのことで、蒜山や阿蘇山のように池の中より沸々と湧き上っていると思いましたが、池の先にまだ滝のような流れがありました。入口には飛沫をあげる流れがあり、その奥を見ると水車が廻っていました。小屋の中を覗くと臼をコトコトと突いていました。『ざぶざぶ落ちる 水の音 とんとんひびく きねの音 年が年中 休まない 五一車は 休まない』五一じいさんの額が掲げてありました。その奥に大きな浅い鯉の泳ぐ池があり、さらに奥に近所の人が水を汲みに来ていた水源ありました。飲むと冷たくさわやかな味でした。秋葉三尺坊大権現が樫の大木の下にありました。サイノカミとして火災から守り、良縁の神として祀られています。

そこを少し淀江に下ったところに「白鳳の里」名水から生まれたオリジナル商品として、周辺の森はドングリの木などの広葉樹が多生し、水を綺麗にしていることと古代人が食糧にしていたドングリを使った商品、ドングリ焼酎、白鳳ゆめ化粧品とともに名水豆腐を加工場で作っていました。目当ての岩豆腐ではないのですが、11時ごろそぼろ豆腐と木綿豆腐が出来上がるとのことで近くの妻木晩田(むきばんだ)遺跡を見てくることにしました。156ヘクタール調査され、1~3世紀の弥生時代の大集落跡で竪穴式住居群が復元されていました。タタラの原点の鉄器も作られていました。地方の一大勢力が暮らしていたことを伺わせます。「国引き伝説」むかしむかし出雲の国を治めていた八束水臣津野命は、高志の都都岬(北陸地方)のあまっているところに太い綱結んで引き寄せて、美保の岬(美保関)をつくりました。この時に使われた綱が夜見の島(弓ヶ浜)なったといわれています。

戻って豆腐を購入し急いで帰る心算が、本宮の泉の看板を見つけ寄って見ました。日量3万トンという県下でもほかに例を見ない湧水量を誇るほか、水生植物・シダ・コケ類をはじめとする貴重な動植物の宝庫となっています。昭和60年6月14日に「因伯の名水」16選に選ばれています。たまたま米子市の職員が水質検査に行く途中で案内してもらいました。名水のビデオを編集して送る約束をしました。ここも手前に浅い大きな鯉が泳ぐ池がありその奥にはヤマメの養殖場の跡の更に奥に伏流水が流れて来ている所がありました。日に3000トンの湧水量があり多くの人が水を汲みに来ていました。

清見寺によると因幡藩の池田光仲公が建てた寺で、室町時代末期につくられた木造千手観音立像が本尊で写真がありました。玉清姫(奈良時代の帝の后)にあやかり、良縁を求める信者が多くにぎわっています。

別荘に帰り豆腐に醤油をかけ味わいました。新鮮な大豆の味が残る美味なものでした。

デジカメの予備の電池も切れ、充電コードを忘れてきていることに気づき、宅配で送ってもらうことにしました。

 

伯耆大山1 羅生門

2012年8月9日

何時ものように9時頃自宅を出て、9時ごろ高梁広瀬のY家本家の前を通ると門があいているため、歴史研究会と訪問したし際お借りした紙漉き歌全集のCDをお返ししました。6時ごろ岡山の自宅を出て伯備線で8時ごろ着いて、何時ものように片付けをしているとのことで、早々に退散しました。広瀬の出口の河内谷踏切にある八幡宮によってみました。ここは大高檀紙を天皇家、幕府に収める際、祈祷をしたのち長持を担いで京都、江戸へ長旅にでたと云われています。50段ほどの急な石段を上ると立派な社殿があり、納屋を覗くと神輿があり、当時の繁栄を伺わせます。

方谷駅を過ぎ、方谷お誕生地の西方を通って一路草間の羅生門を目指しました。その前にカタクリ亭でソバを食べました。頼まれていたそば粉を買ったのですが、店主今時分の暑い時は旨くなく、10~11月の寒い季節の新そばに限ると。夏の新ソバを意識してのことでしょうか。

羅生門は中学のボウイスカウトで10何人と自転車でキャンプに訪れたが到達できていたか未だに疑問に思っていた。先だって先輩に聞くと満奇洞に行ったとの答えであった。ここまで100kmとメーターに出ていて当時高梁を過ぎると既に尻が痛くなり、暗くなりどこかよく分からないままにテントを張って夜が明け羅生門らしきものを見て、そそくさと帰りました。帰りは下りで昼ごろには5人ほどで帰宅しました。今にして思うと駐車場当たりにテントを張って、先輩たちは朝早々に羅生門を見て帰っていたようだ。直ぐの所が二手に分かれていて今回も下のコンクリ-ト舗装の道を行くと巨大な鍾乳門に行きあったった。そのまま帰ってわけだが、満奇洞に行った組があったようです。そこから満奇洞まで自転車で行くと1~2時間は上り下りしなければならず、ついて行って良かったか分りません。50年目にして羅生門なるものを見ました。戻って右手のアスファルト舗装しているところを進み羅生門の展望台から絶景なるかな、山がえぐられたような巨大な鍾乳門がありました。秋であればさらに素晴らしいであろうと考えていると、女性が4名上がってきて鳥取からで初めてでした。前後して一緒に更に行くことになり、当時であれば心時めいたことでしょう。3つの門がありアーチの下を潜ってゆくと、さらにその巨大さが実感できた。過ぎて上を見上げると天空の穴に丁度太陽があり光を降り注いでした。張り出した展望台へは滴が雨のように落ち一層冷気を味わった。周りの傾斜地は崩れ落ちた鍾乳石に苔が生え異様の雰囲気でした。第3門の先は滑るような傾斜になっていて行っては見ましたが、行き止まりで引き返しました。なお新見いやしの名勝遺産「羅生門」によると、草間村草間馬繋にあり。新見高梁間の街道谷合を距ること東方一里余の高窟上にあるを以て交通不便世人未だ周く之を知らざるも、神斧鬼鑿の大景は眞に驚くに堪へたり。其の第一門は西方に位し渓底にあり。云々。数万年の水浸食により大石橋天空にかかり、高さ40m

幅18mの上には樹木が茂り通れない。橋下には珍しい植物ギンビサク、クモノスシダ、十文字シダ、イハガラミなど興味ある植物がある。羅生門は、標高400mの草間台のドリーネにできた石灰岩の巨大なアーチ、古い鍾乳洞が崩落し一部が残存してできた鍾乳洞のなれの果ての姿となっている。高山性、北方系の苔、シダ類が生え、コケ類ではサガリヒツジゴケ、イギイチョウゲゴケである。 阿哲商工会地域遺産認定委員会」

新見の手前のIAあんで、前回はすき焼き用千屋牛を買う予定でしたが、今回は備中小豆を買うつもりが定休日でした。共に岡山のブランド品です。

日野の金持神社にもよらず、この辺りは37度を道路標識が示していました。あちこちで道路傍の草刈り作業をしていて一方通行も多く炎天下ご苦労様です。

4時ごろ大山につき別荘下の青空市を覗いてみました。大きなスイカが安く売られていましたが、目当ての大根がシーズ日暮ンでないためか、売り切れたかありませんでした。そこで地ビールのガンバリウスの先の「地蔵滝の泉」の名水を見に行きました。5mの滝は昭和34年の伊勢湾台風の集中豪雨地震でなくなり、名水が湧き出しているとのことでした。年間通じて11度、日量19.4万トンにもなります。古くより大山詣での道筋にあり地蔵菩薩信仰と重なっています。

別荘につき早速風呂に温泉を入れ、のんびりと汗を流しました。キリキリと日暮セミでしょうか甲高い鳴き声が周り中コダマしていました。ご飯を炊いて持ってきた惣菜をつまみながらビールと酒を飲みいつの間にか寝ていました。