デジカメの充電コードが着くまで午前中「吉備群書集成」を読んだり、ドウダンツツジに絡まったツルを取り除いたり、草取りで過ごしました。吉備群書集成は大正10年発刊、全10輯、各600ページの岡山県関連の地誌、人物などの集大成です。第1輯 和気絹(高木太亮軒) 備陽国誌(和田正尹等著) 山陽道美作国古城跡,寸簸之塵(土肥経平) 備前名所記(土肥経平) 備中名所記(土肥経平) 歌枕備中民談(無楽翁) 吉備の志多道(古川古松軒)~第9輯 吉備温故秘録 利之巻(大沢惟貞編) 第10輯 吉備温故秘録 乾之巻(大沢惟貞編)
という云う訳で、家から持ってきた吉備群書集成第1輯 地誌部(上)和気絹 御野郡 富山城の項を改めて読むこととしました。松田記伝よると、備前国一乱以後、山名領知の福岡の城を攻め落し、軍功により伊福郷をもらい、直ぐ富山城を築き、大乱の最中で西備前数か所を領地とした。金川城で12代続いたが、松田滅亡の時、富山城は横井土佐が守った。天正年間より宇喜多直家の弟、浮田忠家居城を息子左京允に譲り大阪でなくなった。こののちの坂崎出羽守は関ヶ原の功労により津和野城3万石を拝領した。大阪城落城のとき石垣より投げ落とされた豊臣秀頼の妻の千姫が気絶しているところを坂崎が拾い徳川家康の陣所に届けたとき、自害すべきを怒り、姫君同心ないまま下さると決めた。所が故あって別に嫁ぎ坂崎大いに怒り姫を奪い取ろうとする。公儀が坂崎の家を取巻き打ち破ろうとする。家老が内通しその息子の小姓が蚊帳を張り、まどろんだころ家老が3度様子を見に来ることに坂崎は不思議な夢を見た。4度目に子が蚊帳の吊緒を切り、親が槍で突いた。 何度か映画化され、ハピーエンドとならない悲しい結末です。
有形文化財の美甘住宅に寄りました。富士山の火山岩で作庭した庭が自慢と当主が、江戸時代中期よりの地元の大地主だそうでした。現在は造園業をしている事は後で確認しました。
野崎のさんが云っておられた、国指定需要文化財の門脇家住宅を覗くと1,769年に建てられた茅葺の母屋(桁行22m、梁行16.5m)を中心に3381㎡以上の屋敷を美甘造園の庭師が、剪定中でした。いまの時期に剪定すると年1回でよいとのこと、我々年がら年中するのと訳が違うようです。水車小屋・米蔵・新蔵・井戸・湯殿・雪隠・茶室、池、大きな消火栓銃があるなど一通り見て歩いていると、若奥さんが出てきて春と秋しか公開をしていないと怒られ早々に退散しました。
今晩は、キノコすき焼きでエリンギ、ナメコなどマツタケが無いのが残念です。