伯耆大山 奥大山寺


大山寺入口に車を止め、参道を少しあがると、とやま旅館の前に『上豆腐屋敷跡 むかし大山寺には、上、下、西明の3軒の豆腐屋がり、ここが上豆腐屋の跡と言われている。この記念塔は明和9年(1772)7月、四国の行者三千人が大山寺に来て宿泊した記念の塔で、施主が上豆腐屋となっている。また嘉永5年には上豆腐屋が豆腐札(金券)を発行した事実も残っている。』 さぞかし豆腐が良く売れたのでしょう。

山門からの石段の途中に杉の大木があり『灯明杉 その昔、日本海を航行する船が難破の折、この杉の頂から、一大閃光を発し、方向を教えたために難をのがれといわれる霊木で、この名がある。』雷が落ちたであろうが、よく生き延びているものです。

本堂の入口には宝牛が吉備津神社のはなぐり塚の銅を鋳造し寄進されています。大山寺は、奈良時代金連上人が寺を建て、地蔵菩薩を祀り、修験の道場として開かれたのが始まりと言われています。その後平安時代になり高僧慈覚大師が教えを広め、天台宗の寺に属しました。江戸時代には、幕府より三千石の寺領を与えられ隆盛を極めました。現在の本堂は、度重なる火災の後、昭和26年に再建されたものです。

石段を降り、右の大神山神社に向かいました。650mの天然の石畳が続きます。すぐのところに、『佐々木高綱の等身地蔵 宇治川の先陣争い以来の功によって、建久4年(1193)山陰道七ヶ国の守護として赴任の途中大病にかかり、大山寺の本尊である地蔵菩薩に祈ったところ病が全治したので、等身の地蔵を寄進したと伝えられるが、寛政8年(1796)焼失し、嘉永元年(1848)田中氏により石で再建されたものである。その隣に、「暗夜航路 ゆかりの地 」の石碑があり、「志賀直哉(明治16年―昭和46年)は大正3年7月当宿坊蓮浄院に滞在した。長編小説「暗夜航路」の終章はこの体験をもととにして書かれている」 「六根清浄」と唱えながら登る様子は、哲学的境地と通じするのではないでしょうか。

その先に「和合の岩」があり良く見ると、大きな岩に杉の大木が寄り添うように伸びていました。「和合」とは「なかよくする」と言われているが、この老木と岩とは、自然に調和しているのでこの名がある。いつごろか、子供が欲し人、良いお嫁さん、お婿さんが欲しい人、夫婦仲や、お舅お姑との間があまりうまくいかず悩んでいる人は、この和合の岩にお祈りすると願いがかねられると伝えたれいる。』

長い歩きにくい石畳を登って行くと鳥居が見え、延命長寿 御神水を飲み汗を流し、タオル洗い山門にたどり着きました。本殿は、鳳凰が羽を広げて様な造りでした。『大神山神社奥宮略縁起 主祭神 大己貴命(又の名を 大国主神) 大山は太古より大己貴命が鎮り座すお山として大神岳又は大神山と呼び此の所と神祭りの場として居ました。奈良町時代より修験道場更に仏教が入り神仏が入り神仏習合説のもと大神に大智明権現の粧稱名を奉り神官社僧により奉仕し平安時代には此の奥の宮を中心として三院百八十坊兵僧三千の西日本一の霊山となり以来時勢により盛衰を重ねて居ましたが明治8年神仏分離令に依り大神山神社奥宮となり元のように純然たる神社となりました。現在の社殿は需要文化財に指定され文化2年(1805)の建築で日本最大級の権現造り。内部は彩色豊に長大な柱や長押の白檀塗は日本一と云われています、正面の社号額は明治維新新政府の総裁であった有栖川宮織仁親王の揮亳である。御神徳 農耕 畜産 病気平癒 交通 開運 勝運 良縁』

本堂は創玄拝殿であると共に、西日本一の大神輿があります。八角神輿では西日本一の大きさといわれています。平安時代から「大山神幸行列」が行われ、常に7基くりだされていた。その中でもこの神輿が最大のもの。担ぎ手が四五十人は必要。明治18年までの神幸行列が行われたがその後は行われていない。形式 両部神道式 高さ 3.2m 重さ 1トン 担ぎ棒 5.6m

本殿の左奥には、下山神社があります。下山神社由緒略記 祭神 下山大明神(渡邊源五郎照政命)元徳2年(1,330)大神山神社を尊信した備中郡司渡邊日向守一子照政公は参拝の帰路奇過にあい不慮の最後を遂げ人々これを哀れみ大山下山の地に子祠を建て下山神社と呼んだが数々の霊験あり、後、夢のお告げによりこの地に奉還したもので、多くの武将の信仰があり、現在の社殿は代々信仰の篤かった石州津和野の領主亀井隠岐守短賢公が文化2年(1805)再建されたもので重要文化財に指定されています。

日本一長いと云われる天然石の参道を下って行く途中に、金門によりました。『金門と大山二羽烏 大智明大権現を造営するに際し、大磐石が道に屹立して通行の妨げとなったので、僧徒等これを取り除こうとしたが、難工事のため途方にくれているとき、二羽の烏が飛んできて手伝い、又、この工事中(孝元天皇52年)金剛鳥が天から飛んで来て、次のような偈を説いたので程なく竣工したと言う。大仙多宝佛 開輪御金門 慶化身垂跡 釈迦両足尊 大山の名及び金門の名は、これから始まったと伝えられる。』

 

 

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