伯耆大山 帰路智頭


別荘の片づけをして9時に出かけるとき改めて見回すと、庭一面色んな花が鮮やかに目にとまった。また向かいの朝顔園では、主人が手入れをしているのに挨拶をして、一路智頭3.5時間を目指した。大山牧場まで出ると大山を借景としてコスモスが牧草地に一面彩っていた。蒜山道に出て関金温泉を通り三朝の三徳山に寄りたい願望にかられながら、人形峠のトンネルを抜け恩原にさしかかると28度の表示に清涼感を覚え、佐治ダムに出てきました。トンネルを抜けてしばらく行くと「やる気地蔵」の看板が見え寄ることとした。弥留気地蔵は「人生の吉凶はすべからく、 己の為せる業にして、 持続する限り、 吉運常に座右に在りて、 為す事叶わぬことなし」と、等身大の石地蔵が祀られていました。村おこしに昭和52年に佐治谷村長が東京のやる気おじさんを誘致したとか。お札販売所で、孫に「やる気」の絵馬、地蔵を買って帰りました。

そこを少し下ると「紙民具 佐治」と紙漉きの展示館がありました。腹がすいたので別荘でにぎったチッチヤなお握りを2ヶ苞ばりました。中は紙漉きの工程を人形で展示してあり紙の民具を販売していました。突き当りを左に行くと佐治市街その先は流し雛の用瀬です。右にハンドルを切り智頭に向いました。

智頭駅で観光情報を得ました。藩政時代を偲ばせる町並、智頭宿は県内最大の宿場町として栄え、藩主の止宿の場所である御茶屋の他、奉行所や制札場がおかれていました。その名残は、ふるくは「日本後期」の大同3年(808)6月、「印旛国智頭郡道俣の駅二匹を省く」と記され、その道俣という呼び名が智頭のことで、由来は道が分かれる所といいます。 その後、上方街道と備前街道が分岐する要衝の地となったのは藩政時代ですが、参勤交代の道筋、藩主池田候の宿泊地として本陣が置かれと、商人や旅人の宿場町として栄えました。あまり繁盛したので、弘化元年(1844)にはとうとう小売商人の逗留を禁止しました。その中核が中谷家のようで訪問することにしまた。専用の駐車場で鯖寿司を予約し小豆を買いました。そこより歩くと興雲寺(曹洞宗)は、1593年の大洪水により壊れあれていました。1632年再建され江戸幕府の国替えの時、新藩主池田光仲の父忠雄が納めています。なるほど、備前橋などあり岡山と交流が深かったでしょう。

石谷家は、古くは屋号を塩谷といい、元禄時代の初め(1691)頃に鳥取城下から移り住み、本拠を構え分家をつくり、繁栄しました。塩屋が大庄屋に命じられたのは、明和9年(1772)からで、明治に入り、商業資本家として躍進し、政治家として貴族院議員に選出されました。平成21年に国の重要文化財となっています。敷地3000坪(1ha)部屋数40余と7棟の土蔵、400坪の庭園は、池泉庭が最も古く鯉が泳ぎ、牛臥山を背景として明治30年小松宮の時完成したであろう。まず入り口の門を入ると藩主を迎えたであろう御成玄関を過ぎ、正面玄関を入ると釜戸があり、その板間の大黒柱は幅50cmはあろうか高さ吹き抜け屋根に達する樫の輝いた柱が目につきました。梁の木組みは見事で松の太いアーチを見ました。我が家に比べると煤が付いていなく松も脂が見られないことより明治になって迎賓館として改築したのかも知れません。庭の池を泳ぐ鯉が見事でした。奥に入ると書が並び、仏の間、2階に上がると神の間と続き、10畳の部屋が連なっていました。 宿場町の趣のある所を歩くと、大きな屋敷に塩谷出店の看板が目につきました。本家の次男が天保年間に起した店で、名主、村長を務め、昭和に入って洋風の療養所を建て今でも中央に凛として建っていました。

時間がかなり過ぎましたが、鯖寿司を受け取り、みたき園を目指しました。片道30分だそうで芦津渓谷にあるようです。滝を見ながら食事ができるとかで興味がありました。登ってゆくと秋には紅葉が綺麗であろう紅葉を河筋に見ながら、豆腐工場が目につきました。

「ろくろうさんの豆腐 極吟豆腐」豆腐の美味の秘訣は、「一滴の水にあり」。轆轤の水は、杉の林の奥深く、大自然に抱かれた芦津の里の村人が古来より守り伝える 天然の石清水です。と看板がありました。豆腐を売っているのかと聞くと買いに来た人か売ってないとの返事でした。今では智頭町の出店で売っているそうでした。その奥に目的の「みたき園」がありました。入り口に茶店風の土産店があり、苔むした茅葺きの建物の奥に滝、水車を配し、真紅の敷物が目に生える小屋が並び、3時ごろでも忙しく料理を運んでいました。河川まで出ると同じ用に京都の貴船を思い描かれる河川屋台小屋が並んでいました。滝には至りませんでした。帰りに茶屋によるとここオリジナルの豆腐を分けてもらえることとのことで岩豆腐様に硬いとのことで分けてもらうことにしました。1丁1000円と高いとは思いましたが、食べたい誘惑にかられまして、暫し待ちわくわくしながら持ち帰りました。豆腐は1丁80円、3丁で100円のもあるとかですが、大豆の香り、味が生きて味わい深かったですが、家内によるとこんなにボソボソした豆腐は食べられないと怒られました。大山の「真名井」の豆腐は湯豆腐として美味しかったです。

ちなみに西粟倉村に寄らず那岐を抜け津山、御津を通り3.5時間のところ2時間強で帰りました。省エネのため3リットルの車から1リットルに還って如何に山道に弱いか痛感しました。

 

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