大高檀紙


大高檀紙が高梁ゆかりの地とは今では知る人は少ないでしょう。その紙は、徳川幕府の庇護のもとに作られていました。今でも宮中でで命名の儀式で使われます。 5月20日にその本家を訪問する機会がありました。 江戸幕府の消滅とともに紙漉きは終わっています。河内谷八幡宮より宝林坊あたりまで領地で、広瀬駅は紙漉き場でしたが伯備線の開通のため山川のみとなり、小堀遠州作と云われた庭園も一部となっています。高梁川と成羽川が合流てんより少し下ったところにあり、ダムができるまで再々洪水に会っていました。京都に紙漉き場を移すように云われたそうですが、河内谷の水でないとできないと断ったと云われています。その水路は一部残っています。そもそも小堀遠州が松山藩の家老をしていた関係で江戸城が焼けたさい蔵の紙が無くなり送ったのが始まりとされています。備中は紙漉きが盛んでしたがその中で最高高級の紙で一子相伝で、現存する紙は少なくその技術も不明のままです。 当主が岡山市内から通いながら片づけられています。貴重な物は高梁市に委託されているとのことです。各所に昔の面影の屏風絵など感慨深いものです。ツツジ庭園越しに伯備線が走りそのすぐ先が高梁川が流れ赤い橋があります。避暑に暮らしたい気分になりました。

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