矢坂山に案内板


3月24日に矢坂山に3名で登り案内板を設置しました。公開は4月8日の玉松会の予定です。前日の雨と一変して晴れ渡りましたが春一番か風の強い日になりました。矢坂本町の鯉が池の下まで車で登り、そこから資材・道具を山頂の富山城跡の2の丸跡まで担ぎ上げました。駐車場の登り口にT組が移植した桜が雨で地盤が緩み倒れていました。帰りには完全に横転していました。  前もって張っておかなかったのが悔やまれるのですが、ベニアパネルにA-1に伸ばしラミネートした城跡の絵図(玉松会で彩色)と矢坂山の登山道の地図を裏表にボンドを周辺に塗りホイッチキスを打って張りました。 数年すると色が消え見えなくなるかもしれません。二の丸の入り口付近に南北に設置することとしてくい打ちをしました。少し南に傾いたようです。それに4.5cm角のアルミ支柱を立て、ビスで止めたわけですが思いのほか穴が合わなく固く手間取りました。公開日まで傷つかないようシートで覆って、12時までかかりました。  地図については種々議論がありました。原図の適当なものが無く拡大すると荒くなって読みづらくなりました。山頂に富山城跡を重ね合わせたため雑然となりました。矢坂山が読みづらくなり、逆に野殿山、大野山が目立つことになりました。大野山については魚見山と矢坂山を含めての名称とか、南より見た名前とか意見があります。大野村に由来する名前なのですが、尾根の一つとして名前を記し、たとえば法事古墳は魚見山と大野山の谷間にあり大野山の山道より入れるなど案内しやすいのではないかと考えています。大野の名前自体が消え失せて行くと残念がられる古老が増えています。史跡の名称については古より地元で呼ばれるものと外から来られた方が付けられた名前が交錯しています。コウノ岩も少なくとも三か所あります。地元ではコウノ鳥が巣を作っていたからとされていますが神の岩が通説です。愛称、あだ名など面白い呼び名があっても良いと思いますが。行った人が名前が分からず勝手に付けた名前が世間で流布する場合は多いのではないでしょうか。ましてや昔の名前が忘れられ新た名前が付けられる事例は多いです。矢坂山は地元では甲山と呼んでいたようです。  いずれにしても案内板を設置してほしいとの意見は多いのですが、登り口ごと、大安寺駅、北長瀬駅など候補は多いのですが山頂にとりあえず設置しました。ご意見を聞きながら改善してゆきます。

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