矢坂山連山 大野山の城郭跡?


先日見つけた「鯉ケ城」跡を確認のため郷土史かを案内しました。見るなり「城郭跡とすると松田時代であろう」までは良かったのですが、「礎石跡が無いので城郭跡とは認定されない」とのこと。尾根を部分的とはいえ整地してあり、中世初期は1層構造の掘建て小屋の櫓楼、見張り台があったとしてもおかしくないとは思いますが。
 この後、大安寺駅にでる山道に出て、法事古墳への脇道の西側手に垣間見える大きな岩は八畳岩でないとのことでした。訂正します。さらに下った西側手に小学生などがよく寄る大安寺中町などが眺望できるところが八畳岩とのことでした。それをさらに少し下った西側手に案内いただいた「石垣」がありました。古いコケの生した2段積みが10mほどありました。松田、宇喜田の時代に南部の守りとして大野山の中腹に設けた城郭跡かもしてません。昭和の郷土史家の相賀しによると「富山城」と共に「野殿山城」「大野山城」「魚見山櫓」が矢坂山連山にあったとしていますが、場所は不明のままです。松田期を始め中世の山城は土塁が多く、本格的石垣は戦国時代後期になってからからのようです。豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき宇喜田忠家が石工集団を連れ帰ったのが石積みの革新に繋がり本格的な石垣が出来る様になりました。万成石の採掘の加工につながたのでしょうか。
 麓には終戦後食料不足により畑にしていたところが見かけるのですが中腹のこの辺りはそう言った場所でなく法事古墳の関係から修行僧の寺跡かもしれません。十分調査する必要がありそうです。そのさらに西奥に八畳はあろうかと思われる岩がありました。
 12時過ぎに帰ると孫連中が集まりすき焼きを食べていて、少し早目ですが誕生日のバレンタインを祝ってチョコレートをもらいました。ちなみに2月14日は宇喜田直家が亡くなった日だそうです。

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