矢坂山 法事古墳


 本日2月5日の午前中に一人で矢坂山の野山変電所南横より登り、大安寺駅方向に下って戻ってきました。小道を登ってゆき鉄塔付近を過ぎると大雨でえぐられた赤土の滑りやすい道となりました。6箇所ほどにロープがありそれを伝って登り大いに助かりました。10歩進んで、2、3歩進んで息を整え、周りを見ては登ってゆきました。中腹までは雑木林でしたが山頂に近づくにつれてツツジが増えてきました。登山道の応じて、春、夏、秋、冬の道として特徴があると楽しみかもしれません。さしずめモミジを植えて秋の道とすると西日に照らされ鮮やかな彩りになるのではないでしょうか。先日間伐した野山見晴台に出ました。矢坂大橋は良く見えますが、南を間伐するとより視界が開けそうです。先日見つけた古墳はどこっだたか分からなくなりました。

 富山城跡、すべり山、魚見山、太然寺、大安寺、大安寺駅方向と交差してる辺りに出て、大安寺駅方向に下ることにしました。「法事古墳」と呼ばれる人が入れる大きさとの事でそれによることにしました。少し下った左側手に小道があり70mほどと聞いていたのですが、かなりの距離があった先にその古墳がありました。案内板があり今でもお参りするのか、供え物がありました。

「法事古墳 この古墳は横穴式石室墳といい6世紀後半(今から役1400年前)に築造された墳墓で石室に出入りできるようになっていて古墳を築造した家の人々が次々に葬られた代々の家族墓です。墳丘は流出していますが10mの円墳で円墳で遺骸を葬る石室は長さが約8mあります。石室は遺骸を安置する玄室と入り口の羡道からなり、玄室が長さ4.2m 幅1.8m、高さ1.8m、羡道が長さ2.5m、幅1.8mです。この古墳は東正野田から大安寺かけての山や谷に築造されている多くの横穴式石室墳のうちでは大型のもので当時この地域を支配していた有力者の墓です。したがってこの地域の歴史を考えるうえからもかけがえのないものです。また、この地の祖先が残した私たちの共通の文化遺産として大切にしなくてはならないおのです。このような古墳をはじめ遺跡をかってに掘ったり壊すことは、法律で固く禁じられており、もしこれを犯すと罰せられます。昭和47年10月29日 施主 井上志保美 岡山教育委員会」と記されています。

法事とは広辞苑によると①追善・供養のために行う仏事。②死者の年忌に営む仏事。となています。大安寺の荘の南端辺りに字名として残っていたそうですので、大安寺の荘を開墾した、もしくは祭事を営んだ家系であったかもしれません。

 

 

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