玉松会・徳蔵城


玉松会・徳蔵城

 4月3日(日)に岡山市北区御津の妙覚寺で恒例の玉松会が開かれ「矢坂山を語る会」より6名出席しました。玉松会は、室町時代に玉松城(金川城)を主城とし西備前を200年以上統治した松田家縁の人が集まり法要しています。本殿で法要の後、御津郷土博物館の内田館長の支城の一つ「徳蔵城」の話の後、矢坂山「富山城」について話させていただきました。

 昼食後、徳蔵城に登りました。築城年代は定かではなく、南北朝時代に須々木氏の居城であったともいわれています。現存する遺構は松田氏の時代のもので、松田氏は最初一族の松田親秀(一説には元資)をいれ後に家老宇垣氏を置きました。永録11年(1568年)宇喜多氏が松田氏を滅ぼすと重臣遠藤河内を置いていました。関ヶ原合戦後に宇喜多氏が滅亡して小早川秀秋が入封すると廃城となりました。

 徳蔵城の麓の徳蔵神社の入口の松田家家老であり城主だった宇垣家の5輪の墓にお参りしました。かなりきつい登山道の途中に200mほどの珍しい空堀があり、上り詰めた城跡は地元に愛され続けた城主だったのか綺麗に保存されていました。城郭自身はそんなに大きくないのですが、石垣は見事なものでした。

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