巨大な富山城の縄張り


巨大な富山城の縄張り
 富山城の城郭は矢坂山山頂付近のみとされていますが、富山城主累系の神奈川県逗子在住の松田勝徳氏が送ってくださった「日本城郭全集」パブリック/矢坂山http://cid-f21c182abf6c5b81.office.live.com/browse.aspx/.Public/%e7%9f%a2%e5%9d%82%e5%b1%b1?uc=1の富山城の項には次のように書いています。
 永禄十二年、直家は富山城を修復して、ここに浮田忠家を居城させた。忠家はこの城を拡張し、野殿山城を西の出丸に、大野城を東の出丸とし、魚見山城には見張所を置いた。現在、残っている城地は忠家の時に築かれた城の縄張りである。
 南よりも眺望できる巨大な城構えであり、岡山城ををはるかにしのぐ城郭となり、岡山城が平城のため兄の宇喜多直家をしのぐとして野殿に城を造ったとするのもうなずけます。浮田忠家は直家の死後、幼少の秀家の後見役として大阪に詰めて、実質上朝鮮出兵の指揮を執ったとされています。一説によると宇喜多の先祖は朝鮮王朝とされ、秀吉の意向に加えて、宇喜田が王朝の再建を目論んだとも考えられます。
 「大野村誌」記載の全山に及ぶ巨大な城郭と大野地区の町並み構想は、単なる夢物語と考えていましたが、着実に進められていたのかもしれません。
 忠家の子基家は常山合戦で流れ矢に当り亡くなりましたが、その弟は坂崎出羽守http://ameblo.jp/junichi54262001/entry-10549118384.htmlとして津和野城主になったことは有名です。
 野殿山城跡?

 
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