4月 2010 のアーカイブ

矢坂山の標識

2010年4月15日

矢坂山の標識
 インターネットで矢坂山を検索すると、登る経路に標識がないと多く書かれています。矢坂本町の砂田清さんが矢坂本町の三本杉から鯉が池経由で冨山城跡への標識が必要と、岸洋一さんの奥さんに書いていただきました。近く取り付けられるのが楽しみです。
 大安寺駅からは中野稔さんが大野幼稚園の園児と可愛い標識を取り付けています。上り口が見難いのが残念です。6ヶ所の上り口に全体の登山道の図(矢坂山の桜・ツツジ、5経路図)があると良いと思いますが、話には出てもいつのことになるか分かりません。
 矢坂山も下より見るとちっさな130m程の山ですが、懐は深く、雑木に覆われ、未透視がないため、方向が分からず不安となります。沢を登るか、尾根を登るかに分かれますが、矢坂山は後者が主たる経路です。昔は薪、松葉を燃料にしていたため、下草も良く刈られ、所有者ごとに道がはっきりしていましたが、松は枯れ、落葉・常緑潅木に覆われた暗い原生林化してきています。
 魚見山からの眺望は素晴らしいものがあります。

ベンガラ塗り

2010年4月14日

ベンガラ塗り
 朱塗りと紹介しましたが、柱に塗った状況を見ると「ベンガラ塗り」が適切のようです。
 部材を加工した後、塗の粉を塗って、墨を混ぜたベンガラを塗って仕上げたようです。漆・柿渋・菜種油を混ぜたようですが、漆でないことは確かです。
 棟上げの前に、屋根藁吹きするのと同様に村人が集まって、部材の加工が終わるごとに塗っていったのでしょうか。離れを改築する際、天井のベンガラ塗りを手伝いましたが、工務店がベンガラを塗って来た板を菜種油(ごま油の方が乾性油で触るところは好ましいそうです)を浸み込ませた雑巾でベンガラが着かなくなるまで何回も拭きあがました。木目が綺麗に浮き上がりました。大変手の架かる作業でした。
 年末の大掃除のときは、柱・敷居を菜種油で吹き上げるため黒光がしていました。床下の土台、床、外壁にも塗ってあったことにおどろかされました。江戸時代にはベンガラを塗ることが通常の工法だったのでしょう。吹屋の町並みにはベンガラが塗ってあり落ち着いた歴史を感じますが、最近の吹屋郵便局のような外観だとしたら異様です。ちなみに、我が家の郵便受けには、ベンガラに柿渋を混ぜ塗っています。柿渋が日ごとに落ち着いた褐色の色合いになります。
 酸化第二鉄に防腐作用があるとされていますが、その機作はよくわかりません。
 
 【べんがら】
 べんがらは、酸化第二鉄を主成分とする安全な無機顔料です。黒・赤・黄・ベージュ・茶・朱など様々な色があります。その酸化第二鉄には防虫・防腐効果があり、有史以前から人類に馴染み深い赤色顔料として、今日に至るまで、漆の椀、化粧品、神社仏閣の彩りに使われてきました。現在、無害顔料として、食品、塗料、化粧品、インキ等に広く利用されています。

 建築では、抗菌・防水効果のある柿渋と一緒に塗ることにより、防水・防虫・防腐・抗菌効果が得られます。
 調べていくと、柿渋にはホルムアルデヒドを吸着する作用もあると記されており、 
柿渋入りのべんがらは強力な木材保護剤といえます。

 昔、べんがら塗りは、社寺など特殊な建造物では化粧としての役目もありましたが、民家では、木材保護剤としてのみ認識され、塗装職人が行う作業ではなく、主に、手伝いさんや大工さん、または専門の職人さんが建て前(上棟)以前に作業を担っていました。そのため、はけ塗りではなく、木材にとの粉を塗るように擦り込みによって塗布していたようです。
 べんがらという言葉は、インドのベンガルに産する黄土を焼いて作った赤色の顔料に由来するようです。

http://www.tabara.jp/jo_ben.html

吹屋郵便局

 

川舟座礁

2010年4月13日

川舟座礁
 4月12日は雨が降り続きましたが、大雨と言うほどではありませんでした。
 13日の朝川船を見に行くと、北長瀬本町と日吉町の堰に船首の1/3が乗り上げ、木製の仮設乗り場も流されていました。既に水は引いていましたが、増水して北長瀬側より日吉町側に堰を悦流したものと思われます。水の勢いは凄いものです。
 能登川用水系の水量が多かったか北長瀬駅東側の操車場跡地の下を暗渠にしているのが細いため水がさばき切れないのか、大雨となったとき心配な面があります。
 観音寺用水系は笹が瀬川の2つの樋門(新分木・桜本)と山陽本線の15の鉄橋(1/15に狭くなっている)より幸いにも笹が瀬川の水位が低かったため流れ出していました。
 水を掻きだした所、堰からはずれ元に戻りました。

矢坂山の桜・ツツジ

2010年4月8日

矢坂山の桜・ツツジ
 矢坂本町の砂田清さんと大安寺東町の間野行治さんの案内で矢坂本町より、桜並木を見ながら鯉が池をへてツツジの咲き乱れる冨山城跡に登りました。
 15年前に植えた桜並木が見ごろとなってきた。鯉が池の手前の山桜の大木は3部咲き。
 矢坂山山頂の冨山城跡 西の丸跡の評定岩(吉備津彦がウラを成敗する評定をした)上で昼食。松がほとんど枯れ1割も満たない、桜・モミジなどの落葉樹の植樹が必要。
 本丸跡入り口の山桜が満開だった。北の丸手前にツツジが群生している。遠くに「鬼城」見える。
 魚見山の「コウの岩」が有名だが、野殿上にも下から見えないが「コウの岩」があり、東西南北の4個に巨岩が割れている。古代の磐座と考えられる。
 「めおと岩」付近のツツジ街廊は蕾が大部分。あと一週間で満開か。
     冨山城跡は四方の眺望が良いが、櫓があるともっと良い。
ほとんどの松が枯れ、残った松は松くい虫防除をし、枯れた松は伐採し、桜・モミジの苗木を植えないと禿山となる。
 
桜並木上左の白い点「鬼城」鯉が池の山桜大木重なり岩本丸礎石
頂部北の丸(昨年より狭くなっている)矢坂大橋(旧山陽道の面影は無くなった)石垣跡岡山中心市街山頂の松枯れ古墳もう一つの「コウの岩」野殿上めおと岩上中央鉄塔「土倉城跡」再 鯉が池上少し右「城跡桜」 左端し「北の丸」

軸組み

2010年4月6日

軸組み
 軸組みには釘を使っていませんが、ほぞ穴の中もカンナを当てたように仕上げてあるのに驚いていました。新たな柱に同じようにほぞ穴をあけ組み上げていました。
 

藁屋根トタン葺き替え

2010年4月6日

藁屋根トタン葺き替え
 昭和20年代にトタンをかぶせて以来、80年ほど経過したトタンを葺き替えることになり、トタンを撤去しました。藁自身を思いの外傷んでいませんでしたが、特に南面の垂木の痛みが激しかったようです。
 既設の垂木の上に、垂木を組みコンパネを張ってゆきました。レベル調整をするのが大変だったようです。なにさま45度以上の勾配での作業で足場を組んでいても、荷上げ、組み上げ、さらに雨の多い時期に重なり、各面づつ下地を作るのに1月以上かかりました。
 ガルバート鋼板を張り上げるのは早く、4日で済みました。立ち上がりは瓦がひかれてからになるそうです。
 やっと足場が取れました。棟木に曲線をつけ美しい仕上がりとなりました。
 

川舟が新聞記事に

2010年4月5日

川舟が新聞記事に
今朝の川舟の掃除をしていると、間野畳店、郷土史家の間野行治氏と岸洋一氏が、4月3日の岡山日日新聞の「北長瀬に川舟”復活”住民有志が進水式の掲載記事を持ってきて下いました。さすが上手くまとまっていると皆で喜びました。
 午後より白石孝彦氏が加わり、川舟の水漏れ箇所のチェックや桟橋のレベル調整を行いました。