桜本樋門


桜本樋門
 大野村誌によると、「桜本分木」北長瀬の大角と矢吹田との間を笹が瀬川に流出する悪水分木で、昭和4年8月に改築した。と記されています。明治25年の道路河川溝図には、桜の印があります。
 「中樋 水門」北長瀬の大角地先に在り、この樋門は、笹が瀬川改修のの結果、昭和11年3月現位置に移転改築したのである。旧樋門の北に福浦水門があたが、昭和10年度末に廃止した、
 「新分木」 北長瀬の市久と矢吹田との間を笹が瀬川に入る悪水分木で、昭和14年1月に改築したものである。この時樋門を高さ巾共に6尺5寸に拡大した。
 「新樋」北長瀬の南端今村との堺を流れる村堺溝の悪水が笹が瀬川の流出する所にある樋門で、1名汐樋門とも言ったもので、笹が瀬川改修の際改築したものである。因に大安寺水門以下の各樋門は県費支弁の樋門である。
  
 桜本樋門には、古老によると桜の木が3本程度あった記憶があるそうです。樋門の改築のとき切られたのかもしれません。昭和20年代まで桜の咲く時分には、川舟でこの樋門まで行くのが風習となっていました。
 北長瀬切図によると、野殿界の中洲が「一番ノ内」で、「壱番字大角」、笹が瀬川を南に下ると「弐番字矢吹田」「三番字一久」と続きます。野田界の「弐四番字下得」が最も番数の高い字です。
 笹が瀬川の土手沿いに日吉町内会が8年生の桜の木を80本植え、花が満開となったため花見会が開かれました。植えたことに対して異論もあるようですが、歴史的景観の復元と町内、近隣の憩いの場として、さらに新幹線、山陽本線の乗客が岡山に桜並木が後楽園のみでなく眺望できることは岡山に立ち寄る人が増えるのではないでしょうか。
 帰りに難波工務店さんの雛飾りを見せていただきました。平安調の素晴らしいもので、季節的に華やいだ気分なり風習の素晴らしさを感じました。ちなみに、小生の家で10何年か前に、手作りのお雛を飾ったところ、海外の人も見に来て楽しんでいただきました。
 
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