妙善院跡のセントラルガレージ


妙善院跡のセントラルガレージ
 日曜日の午後に、覚善院で役員会がありました。セントラルガレージを運営していますが、管理の省力化のためコインパーキングに移行の話が10年前よりあり、再度見積もりを取り検討しました。その他、ゲート式、月極管理委託の案がありました。
 コインパーキイングは委託すると固定的な収入は約束さますが、柱が邪魔なため丈夫な鉄骨屋根の解体費用が高く、屋根付き駐車場は貴重でそれなりのお客を獲得できる点が見逃せません、さらに現在も月極固定客が大部分で、一時駐車は限られて、近くに其の手の駐車場は乱立しています。
 月極管理委託は管理料も安く、管理負担がほとんどないが、自主運営が出来ない点で却下されました。
 ゲート式は現状のまま一部駐車場改造で比較的安い負担金でできるため採択されました。
 全員で現状を見に行ったところ広くて確りした鉄骨屋根のガレージですが、30年間に傷んだ部分、産廃ごみの処分、レイアウトの変更などあるため見積もりを取ることになりました。さらに、ゲート設置業者に詳細に打ち合わせることになりました。
 といころでセントラルガーレジは県庁通下り線と大雲寺通との交差点の左2軒目にあり、近くには川崎病院がありよい場所です。世話をされてきた難波徳一さんによると、ここには30年前まで、妙善院があり焼失した跡、後継者もおらず、山陽町の檀家が覚善院に移り、跡地を駐車場としたとのことです。
 妙善院・覚善院はともに蓮昌寺(SkyDrive/公開お気に入りhttp://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/n_renzyoji.htm)の五院であることは蓮昌寺史に記してあります。しかし、ともに詳しいことは記されていませんので、調べてみたいと思います。
 (資料)
 

寺・院・庵・坊 の区別
 寺はもと中国の使臣を接待する役所の名です。後漢の明帝の治世にインドの僧葉摩騰・笠法蘭の二人が中国に仏教を伝えた時、初め鴻臚寺に置き翌年白馬寺を建てて住まわせました。この時から仏教の道場を寺と呼ぶようになりました。
 院は寺の中の別舎をいい、合わせて寺院と呼びました。また院は寺の別称でもありこれには寺に付属する場合と、独立の堂舎を指す場合とがあります。

 庵はイオリといい、聚落を離れた野外に木草などを結んで仮に構築した屋舎をいいます。出家または隠遁者の住む家をいいます。草庵・庵室をいいます。

 坊はもとは市街の一部(四保。十六町)をいっていましたがのちに大寺院に所属する小さな寺院を指すようになりました。禅宗寺院では塔頭(たつちゅう)といっています。

 

 妙善寺との関連は分かりません。

 

鷲林山 妙善寺(日蓮宗不受布施派) 岡山市津島本町7-1 TEL086-252-3026
前身は福輪寺という真言宗の寺であったが、南北朝の初めに京都から来た大覚大僧正と時の住職とが法論の末、大覚に帰依して日蓮宗に改宗した。明治30年に再興。

 

蓮昌寺史 平成14年 蓮昌寺

 第二章 蓮昌寺の沿革

 第一節 当山の縁起

 蓮昌寺はいわゆる備前法華の中心道場として栄えた日蓮宗の巨刹で、山号を仏住山、主院を龍華樹院と号する。かっては檀家七千を有したといわれ、一万坪におよぶ境内地には国宝の本堂をはじめとする七堂伽藍が棟瓦を並べ、その偉容を誇っていたが、惜しくも、第二次世界大戦の戦災で灰燼に帰した。しかし、寺宝である大曼荼羅(日蓮宗宗宝・岡山市重要文化財)だけは、その難を免れた。

 開山は龍華樹院日像聖人。その高弟大覚大贈正が備前地方弘通の砌、これに帰依した備前の領主松田左近将監元喬により、光厳天皇の正慶年中(一三三二~三四)あるいは、後付上天皇の康永三年(一三四四)に創建されたと伝えられる。寺号を蓮昌寺と称するのはその法号に基づく。

もと岡山城中、榎の馬場(えのこのばば)にあったが、天正元年(一五七三)宇喜多直家が亀山城(沼城)より岡山城に入るや、これの大改築工事にとりかかり、蓮昌寺を旭川の対岸国富に移し、更に引に続いて慶長六年(一六〇一)小早川秀秋が外濠(そとぼり)に沿って、郭外に寺町をつくったとき、同寺を現在の地に移転した。戦災て焼失した桁行(けたゆき)三六、七m、梁間(はりま)三五、八mの本堂は再移転のとき秀秋が大勘進となって建て、岡山下の名物的存在であった。

 蓮昌寺の古い縁起書には、次のように記されている。

◆蓮昌寺の縁起

 蓮昌寺は岡山第一の巨刹にして、堂宝の宏壮なる、その類稀なり。此の開其をたずぬれば光厳天皇の正慶年中、松田将監元喬の創造する所にして、実に我国紀元一千九百九十二年及び一千九百九三年の間に在り。寺号を蓮昌寺と称するは、将監元喬の法号に其づき、西国にては日蓮宗最初の道場にして、其本山は京都妙覚寺たり。当初備前岡山城内の大手筋なる榎の馬場にありしが、天正年中宇喜多直家当国の本寺代として再興し、その後旭川の東森下村(今の森下町のことにて御堂と言うはその遺址)に移し、後に仁王町に移す。往古は寺領五百石を領し、寺中に支院四十八ありて、その境内は南北の長さ五町に亘り、東西の広さ二町余りなりしが、池田家封を備前に移し、芳烈公世を治むるや、強く寺院を制し、本寺も亦その寺領を没収せらる。其後、寺領六拾ニ石五斗の寄附あり、以て維新の時に及べり。本堂は北より南に向って立ち、十八間四面(桁行十八間梁間十八間)にして三百二十四坪あり。表門より本堂に至る間左右に支院八あり、曰く、妙善院、曰く覚善院、曰く大乗院、曰く不染院、曰く本成院、曰く実如院、曰く林照院、而して院主を龍華樹院という。別に守護神あり。最尊一丸大明王という。毎月一日を以て縁日とし、書夜参詣するもの頗る多し、本寺の宝物たるちのは大曼荼羅にして、毎年陰暦三月二十八日より拾二日間開扉し、参詣人頗る多し。

 しかし、往年の蓮昌寺は今はない。昭和十六年、宗教団体法の施行により塔頭の妙善院、林照院、不染院、本成院、覚善院の五院はそれぞれに本寺を離れて独立。更に二十年六月二十九日の未明、米機の空襲により、国宝の本堂、同じく国宝の三重の塔などの塔堂伽藍、その他の文化財、過去帳等の資料を悉く焼失した。

 

 『岡山市史』大正九年十月三十一日発行

寺中には妙善院(元緑三年中創立)本成院(元緑三年中創立)林照院(元禄三年中創立)大乗院(元禄三年中創立)覚善院(元禄三年中創立)不染院(元緑三年中創立)実如院(元禄三年中創立)

 

 

 

蓮昌寺史 平成14年 蓮昌寺

 第二早 蓮昌寺の沿革

 第一節 当山の縁起

 蓮昌寺はいわゆる備前法華の中心道場として栄えた日蓮宗の巨刹で、山号を仏住山、主院を龍華樹院と号する。かっては檀家七千を有したといわれ、一万坪におよぶ境内地には国宝の本堂をはじめとする七堂伽藍が棟瓦を並べ、その偉容を誇っていたが、惜しくも、第二次世界大戦の戦災で灰燼に帰した。しかし、寺宝である大曼荼羅(日蓮宗宗宝・岡山市重要文化財)だけは、その難を免れた。

 開山は龍華樹院日像聖人。その高弟大覚大贈正が備前地方弘通の砌、これに帰依した備前の領主松田左近将監元喬により、光厳天皇の正慶年中(一三三二~三四)あるいは、後付上天皇の康永三年(一三四四)に創建されたと伝えられる。寺号を蓮昌寺と称するのはその法号に基づく。

もと岡山城中、榎の馬場(えのこのばば)にあったが、天正元年(一五七三)宇喜多直家が亀山城(沼城)より岡山城に入るや、これの大改築工事にとりかかり、蓮昌寺を旭川の対岸国富に移し、更に引に続いて慶長六年(一六〇一)小早川秀秋が外濠(そとぼり)に沿って、郭外に寺町をつくったとき、同寺を現在の地に移転した。戦災て焼失した桁行(けたゆき)三六、七m、梁間(はりま)三五、八mの本堂は再移転のとき秀秋が大勘進となって建て、岡山下の名物的存在であった。

 蓮昌寺の古い縁起書には、次のように記されている。

◆蓮昌寺の縁起

 蓮昌寺は岡山第一の巨刹にして、堂宝の宏壮なる、その類稀なり。此の開其をたずぬれば光厳天皇の正慶年中、松田将監元喬の創造する所にして、実に我国紀元一千九百九十二年及び一千九百九三年の間に在り。寺号を蓮昌寺と称するは、将監元喬の法号に其づき、西国にては日蓮宗最初の道場にして、其本山は京都妙覚寺たり。当初備前岡山城内の大手筋なる榎の馬場にありしが、天正年中宇喜多直家当国の本寺代として再興し、その後旭川の東森下村(今の森下町のことにて御堂と言うはその遺址)に移し、後に仁王町に移す。往古は寺領五百石を領し、寺中に支院四十八ありて、その境内は南北の長さ五町に亘り、東西の広さ二町余りなりしが、池田家封を備前に移し、芳烈公世を治むるや、強く寺院を制し、本寺も亦その寺領を没収せらる。其後、寺領六拾ニ石五斗の寄附あり、以て維新の時に及べり。本堂は北より南に向って立ち、十八間四面(桁行十八間梁間十八間)にして三百二十四坪あり。表門より本堂に至る間左右に支院八あり、曰く、妙善院、曰く覚善院、曰く大乗院、曰く不染院、曰く本成院、曰く実如院、曰く林照院、而して院主を龍華樹院という。別に守護神あり。最尊一丸大明王という。毎月一日を以て縁日とし、書夜参詣するもの頗る多し、本寺の宝物たるちのは大曼荼羅にして、毎年陰暦三月二十八日より拾二日間開扉し、参詣人頗る多し。

 しかし、往年の蓮昌寺は今はない。昭和十六年、宗教団体法の施行により塔頭の妙善院、林照院、不染院、本成院、覚善院の五院はそれぞれに本寺を離れて独立。更に二十年六月二十九日の未明、米機の空襲により、国宝の本堂、同じく国宝の三重の塔などの塔堂伽藍、その他の文化財、過去帳等の資料を悉く焼失した。

 

 『岡山市史』大正九年十月三十一日発行

寺中には妙善院(元緑三年中創立)本成院(元緑三年中創立)林照院(元禄三年中創立)大乗院(元禄三年中創立)覚善院(元禄三年中創立)不染院(元緑三年中創立)実如院(元禄三年中創立)

 

 
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