大野の由来


大野の由来
 大野村の名残は大野小学校として残っているのみです。移転前の大野小学校が大安寺の庄ゆかりの地(正野田町)にあったことや、大安寺駅、大安寺町、大安寺中等教育校など大野名前が忘れれられて来て地域の古参は残念がっています。
 そもそも大野の名前は、

岡山県大百科事典 上巻 昭和55年 山陽新聞社 発行 によると、 

 大野(岡山)

 岡山市街地西部の旧村名。1889年(明治22年)大安寺、野田、高柳、北長瀬、野殿の各村が合併、大安寺と野田の頭文字をとり大野村とした。1952年(昭和27)岡山市に編入後は大野の地名はなくなる。矢坂山とその南部の平野部で、国道2号線沿いに農機具販売店、自動車販売店が並び、都市計画の一環として中小企業団地もある。近年住宅地化が進んでいる。

 大野(大原)、大野(鏡野)の記述もある。

大安寺と野田の頭文字をとって、大野村としたとあって、にわかに信じがたいものでした。読みか方を説明するためこのようになったならともかく、大野村誌にもその辺りの経緯は触れていません。下図のように経過のみしか記していません。

 10年ほど前に、吉備津彦神社に初詣したさい、「吉備の中山を守る会」が神社にまつわる古絵図をパネルにしていました。その一枚には吉備津の東に広大な平野が広がり「大野ヶ原」と小さく記してあったように記憶しています。写真を撮ったのですが見つかりません。その後何度もお聞きいしているのですがパネルが見つかりません。

 「市久物語」に記したように、歴史的には葦の生い茂る「長江葦原」が広がって「大野ヶ原」があってもおかしくありません。ちなみに「長江葦原」の長江は中国の「ちょうこう」の景色に似ていることから付いた名前とする説があります。北長瀬の字名に「大伴」が残っていることより、万葉集の歌人の大伴家持が吉備を旅する際、笹が瀬川の蛇行する大川で詠んだ詩があったかもしれません。岡山平野全体が「長江」的風景であったかも知れません。富山城が本格的城郭をなしていたならば、岡山平野・岡山市は冨山平野か大野平野、富山市か大野市となっていたでしょう。なぜなら、岡山城の岡山と呼ばれる小高い丘に築城されたことからきています。いずれにしても地の利には勝てなかったようです。

 妄想にしても古代に「大野が原」あったとするとポエムを感じますし、魚見山からとの景色が一段と引き立ちます。

 

 

 

 

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