12月 2009 のアーカイブ

田舟を訪ねて(写真追加)

2009年12月24日

下段は、水辺の会の様子を写した写真です。

田舟を訪ねて

2009年12月24日

 本日、久米の佐藤さんの案内で田舟を見せていただき、一宮周辺の2重樋門を見せていただきました。前回の新比丘尼橋の隣の樋門は紹介されたものでなく、吉備線とすぐ南にありました(訂正いたします)。ただ、吉備線付け替え工事に伴って、石造であったろう、昔の面影は残っていませんでした。
 中山小学校の北側手の吉備津より笹が瀬川に出ていた砂川ないし西川の隣に津田永忠が築いた石造堤防約500メートルを見ました。正に閑谷学校の塀そのものでした。其の隣に吉備線の「北一宮川橋梁があり一久川橋梁を思い浮かべました。笹が瀬川東岸にも2重樋門があったはずで日吉町の桜本樋門がその形跡があり、大川の南端、市久辺りであり、北には間の橋(現大安寺西町)辺りにあたのではないでしょうか。
 石造でなかったため其の面影のある樋門として今保水門を案内いただきました。今保鉄鋼センターの南端辺りにあり、大賀邸の隣にありました。今保港が備前藩の笹が瀬川で西側の米の出荷でにぎわっていた様子が分かります。江戸時代には米倉が笹が瀬川東岸の同様の機能を持っていました。
 水辺の会の田舟を見せていただき、10艘は在り、また修理の様子を聞きました。一艘北長瀬駅の北口水路に浮かべ、尺八・琴演奏している様子を描き新年の初夢のようでした。ただ、5メートルもあり持ち帰る方法、修理方法など難題が待ち構えています。日吉町には吉備の水軍の末枝が居るとかで田舟の改修など簡単なことと期待しています。

一久川が市久と一宮を結ぶ運河説

2009年12月22日

久米の佐藤さんより貴重な情報を頂きました。

 市久物語の一久川は一宮の吉備津彦神社により市久を干拓・灌漑するために作られた用水です。干拓のためには潮抜き用の川が必要で、旭川を水源とする丹比真人墾田や大安寺の庄で使われた雑用水を一久川に引き込みそれに当てていました。昭和37年頃、大川を埋めた際、いつの時代か浅瀬で難破したと思われる帆船が出てきたと聞き、白石・市久辺りで帆船より小船に乗り換えて一宮辺りに上っていて、賑わい、たまに市が開かれていました。

 ところが佐藤さんが話されるのに、黒住秀雄著の「尾上の田船の歴史を探る」(市久/SkyDrive/公開 参照)によると、津田永忠が津高堺江関係の干拓の時、笹ケ瀬川に堤防を作りました。其の時、内川より潮川に田舟が出るため比丘尼橋にハク樋(2重樋門)をつくり、満潮時でも田舟が通行できるようになりました。また、大安寺の三カ月湖を通って岡山市西川まで行くことが出来ます。一宮より岡山市街地に田舟で行けていたことより、当然市久にも行けていたはずで、その縁から一久川と付けられたとする説です。

この2重樋門は、玉島の高瀬通し同様にパナマ運河同様の構造をとり貴重な歴史遺産でした。少し笹ケ瀬川を下った西長瀬樋門にも2重樋門が残っています。

  市久誕生当時の古代末期には、自然堤防程度で淡水の流れる川辺で稲作が行われていたと考えられていて、市久より笹ケ瀬川の三ケ月湖になる前の大川を通って一宮へ行っていたとするのが妥当でしょう。

 時代は下りますが明治30年頃、土光敏夫《元日本経団連会長》伝によると幼少の頃、家が肥料を商いとしていたことより大野辻(現北長瀬表町)の生家より岡山に川舟を引いて売りに行っていたと書いています。此の川は能登川用水であったかも知れません。

 

ダルマガエルの保護活動

2009年12月19日

 12月13日岡山市野殿の西消防署の隣の水田でダルマガエルの保護活動が行われました。 
 
 孫が数日前より、昨年の行事を思い出し「かえるがいた」と連れて行ってもらえるのを楽しみにしていました。今年もダルマガエルの保護活動として保護地に植えた稲から収穫した米を炊いておにぎり、芋がゆをいただきました。炊き上がるまで、かえるの鳴き声を出す紙コップの造り方、お飾りの作り方を指導頂き、川でフナ(釣れなかったが)を釣るのを楽しみまいた。ダルマガエルは外見がトノサマガエルの小型で昔は田んぼで多く見られましたが、畔を飛び越えられないため道路が増え絶滅危惧種になってしまいました。

ポーラースターリサーチの上山耕司氏の話

2009年12月17日

 氏は元ファンドマネージャデーで禿たかだったとか。世界的に活躍する経営コンサルタントで、1時間の相談料は300ドル(3万円)とかで、良い情報は無料では得られない。
 「自力本願&大同団結」と題し、外部から見た、岡山製造業の印象は、純血主義、内向き体質、クリ-エネルギ-産業が育っていない、OEM製品が多い、江戸時代以来の素封家に牛耳られている。今後求められるのは、マイウエイ技研ー宣伝上手な、時流に乗ったソリューションの受託開発企業ー、+アルファー:他社の追随できない共同開発の推進とアプリケーションの囲い込み、”大同団結”こそ繁栄への近道。今こそ、中国地方における、有史以来のビジネスパーソン「野崎武左衛門」に学ぶ時。
 「コメント」環境産業で西日本を取りまとめアジアに展開することか。恵まれていることは、革新に繋がらなく発展性を阻害している。
 

北長瀬駅北地区区画整理案に岡山市長が光明回答

2009年12月16日

 

北長瀬駅北地区区画整理に岡山市長が光明回答

新聞で岡山市議会において新風会の柴田市会議員が北長瀬駅北地区区画整理について質問していただいたことに感謝します。市の回答は従前の通り「市が67heについて住宅地として計画を進めている」のようです。

このまま進むと市が土地を購入することがないにしても吉備高原都市のように塩付け土地が発生します。土地を最大限に活用することを念頭にする必要があります。大規模店舗が候補地として何社かが名乗りを上げているだけに真摯に受け止めるべきと考えます。駅南に医療センターを誘致することは賛成ですが、市民病院が名を変えたのみでは反対です。最新の高度診療、検査設備を持った24時間診療センターが好ましいでしょう。24時間となると医師・看護婦が5直性が必要でその人員と近隣宿泊・居住施設も必要となるでしょう。人員については外国人医師・患者を受け入れる特区が必要で、住宅施設は日吉町・北長瀬本町に設けて北長瀬駅東に自転車・自動車の南北地下道が必要となるのではないでしょうか。

 ところが公明党の則武議員の質問に対して、高谷市長が特別にコメントを付け回答た内容は「就業先がなく困っている状況下で区画整理に積極的に企業誘致を導入すべき」だったと間接的に情報を得ました。まさに光明を得た感じで当に市長のリ-ダーシップを発揮された観です。今後の展開に期待したところです。(日吉町の難波さんのテレビ報道からの情報)

 『日吉町の難波さんのコメント 12/22』公明党の則武議員の質問に対して、高谷市長が特別にコメントを付け回答た内容は「就業先がなく困っている状況下で区画整理に積極的に企業誘致を導入すべき」だったと間接的に情報を得ました。赤文字のところは、デイレクトにこのようには発言していないのです。『高卒、大卒ともに就職率が低迷しているなかで、就職受け入れ先の増加が急務である』ぐらいです。

 

過去の経過をまとめると、

この地域の区画整理は戦後復興のため岡山市全体の都市計画にもとづき現北長瀬本町・日吉町を一体的に行う施行計画がつくられたが、最後の計画地域となった。ところが時代情勢は大きく変動し、人口減少社会へ突入し住宅供給・狭小住宅改善、車社会へ対応を目的とした計画はその意義が薄れ、むしろ自然を生かした区画整理を望むようになった。また、当時には計画のなかった日吉町に岡山市外環状道路が来年には一部開通する見通しとなった。さらに、国、県、市、企業、個人の経済情勢は最悪といっても良い状況にある。

 此の状況下において高谷市長が従来路線ではなく新たな区画整理を検討するよう指示くださり、市職員・地権者など関係者の努力により計画検討が進められている。

 市から提起された基本見直し案の基準は、

既設道路を活かした道路計画により、家屋移転を少なくなるよう見直してゆく。

整備グレードを見直し、既製品を使用するなどコスト縮減をはかる。

地価の動向を固く見積もり、収支の安定化を図る。

地元の理解を得ながら、地元負担を見直してゆく。

 4回の説明会により地元の要望の概略を取り入れた市側の区画整理図面案ができ、102225日に5回目の説明会が行われ、4回目説明図面に基づく概算事業費が提示された。

○現計画案の概算事業費等について

概算事業費‥‥‥‥約190億円            

            このうち建物移転費   約 90億円

            公共施設整備による移転 約170億円

            換地支障による移転   約 40億円

換地支障による移転補償を抑えるため、付け保留地を設け地権者に購入してもらいます。

    ②平均減歩率‥‥‥‥約26

一方、6月頃より日吉町及びその地権者中心に組合施行が検討されてきた。

組合施工ですると大型店舗誘致が前提だが、1.負担金が少ない。減歩率10%以下。2、貸地料が得られる。3、バイパス開通には間に合わないが早期に実現する。4、市の事業費は大幅に少なくなり、税収が得られる。5.北長瀬駅の乗降客が増える。6.乱開発が止められる。ところが問題点は、1.北長瀬本町の区画整理が頓挫する恐れがある。2.北長瀬本町の調整区域が残る。3.本町と日吉町で分裂する。4.大型店舗立地法の問題。5.通常組合施工の場合3040%の減歩率が課される事業資金を如何に捻出するのか。などある。

計画案は具体的になってきたが、さらに新たな対策基準が必要ではなかろうか。

①既設住宅地(北長瀬本町)につては、事業費縮減と将来発展の余地を残すため新築を可能とするためには建築基準法に基づく4メートル巾の道路整備を基準のとし、駅へのアクセス道路、通り抜け道路のみ6メートル以上に整備する。

②従来の平面的換地手法のみでなく、立体換地を導入する。

③日吉町については再開発事業とし、民間活力を利用するため、公募により特に日吉町地区の都市計画案を募集する。住宅団地を始め、大型店舗を含む企業立地案も応募対象とする。

 

岡山大安寺中等教育高校

2009年12月15日

 下記のように岡山大安寺高校中等教育高等学校の名称の由来につて報道について疑念を持ち山陽新聞に問い合わしたところ大安寺高校の卒業生の方がでられ報道の通り在学中から教えられ、開校当初より地元が間違いを指摘しなかったのが悪いと下記の回答を頂きました。
 教頭先生によると学校側がブリ-フィングしたもので、今後表現を気を付けるとの回答を頂きました。「大安寺の庄」ゆかりの地近くに開校したわけで奈良時代もしくはその少し以前には現在地は海ないし「大野ヶ原」であり、後に平安時代末期に「市久の保(北長瀬)」が誕生しました。