田舟を訪ねて


 本日、久米の佐藤さんの案内で田舟を見せていただき、一宮周辺の2重樋門を見せていただきました。前回の新比丘尼橋の隣の樋門は紹介されたものでなく、吉備線とすぐ南にありました(訂正いたします)。ただ、吉備線付け替え工事に伴って、石造であったろう、昔の面影は残っていませんでした。
 中山小学校の北側手の吉備津より笹が瀬川に出ていた砂川ないし西川の隣に津田永忠が築いた石造堤防約500メートルを見ました。正に閑谷学校の塀そのものでした。其の隣に吉備線の「北一宮川橋梁があり一久川橋梁を思い浮かべました。笹が瀬川東岸にも2重樋門があったはずで日吉町の桜本樋門がその形跡があり、大川の南端、市久辺りであり、北には間の橋(現大安寺西町)辺りにあたのではないでしょうか。
 石造でなかったため其の面影のある樋門として今保水門を案内いただきました。今保鉄鋼センターの南端辺りにあり、大賀邸の隣にありました。今保港が備前藩の笹が瀬川で西側の米の出荷でにぎわっていた様子が分かります。江戸時代には米倉が笹が瀬川東岸の同様の機能を持っていました。
 水辺の会の田舟を見せていただき、10艘は在り、また修理の様子を聞きました。一艘北長瀬駅の北口水路に浮かべ、尺八・琴演奏している様子を描き新年の初夢のようでした。ただ、5メートルもあり持ち帰る方法、修理方法など難題が待ち構えています。日吉町には吉備の水軍の末枝が居るとかで田舟の改修など簡単なことと期待しています。
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